[注釈]
* le sens des hie’rarchies : 前回扱った部分の内容、本当の意味で作家足りうる人間は、ある意味孤高の存在であらざるをえない、といった内容を指しているのでしょう。
* une existence aise’ment qualifialble d’agite’e : サガン自身の生き方、つまり「まずは波瀾万丈のと形容できる」ということです。
* je n’aapre’cie plus que la motie’. : appre’cier = de’terminer la valeur de qch. ですから、四冊の書物のあり難さを半分しか分っていない、ということです。
* Et il fallut que ~, pour que …. : 「….であるためには~でなければならなかった」
[試訳]
だから私は、プルーストによってまた、ものを書くという私の熱情には困難と様々なレベルがあることも学んだ。すべてを、プルーストによって学んだとも言える。
けれども、これら四冊の書物を初めて読んだこと、またその時の光景を考えると、それでも今日認めなければならないことが一つある。それは、今になっても自分の人生の成り行きを理解することは出来ず、何ひとつ分からない、ひとまずは波乱に富んだと言える人生において、何ひとつ学ばなかったとしても、今でも私にはこれら四冊の書物が跳躍台であり、羅針盤であり続けている、ということである。それでも、それら四作品の半分も理解したとは言えないけれども。私の精神は何年もの間それらの書物に問いかけて来た。私の思い出の最も生きいきとした、もっとも完全な部分は、これらの本と結びついている。そんな思い出には私の知性のみならず、嗅覚、聴覚、触覚までもがしるしづけられてしまっている。なのに心の思い出は、まったくぼんやりとした姿しか残していない。あるいは逆に、ただ一つの感覚しか満たしていなかった。あの人を初めて愛したとき、その目をまなざし返した目の輝きや、雨の匂い、初めて仲違いした時のカフェの香りなどは、これ以上ないほど鮮明だけれども、その他は何ひとつ覚えていない。初めてのキスの時には雨が降ったいただろうかか。目を伏せてあの人が言ったのはさよならだったろうか。何も分からない。私は自分自身を生きるのに精一杯だった。だから、誰かに私の代わりに生きてもらい、それを私が読まなければならなかった。つまりは、自分自身の人生を十全に感じ取るために。
……………………………………………………………………………………
サガンのエセー、いかがだったでしょうか。はやりサガンは、「読んだから書いた」という作家の王道を歩んだ人だったのですね。
大阪では、立秋を過ぎてしばらくすっきりしないお天気が続いていました。夜には、虫の声も聞かれるようになり、やはり盛夏を過ぎたのかな、と少し一息つけたのも束の間、今日(8月12日)は茹だるような暑さでした。まだまだ気を抜けません。
残暑お見舞い申し上げます。みなさんも、どうかお身体には気をつけて、たくさん読んで下さい。
勝手ながら、夏休みを頂戴します。次回テキストは、9/25(金)までにお届けします。それまでにまたみなさんの近況(読書)報告など聞かせていただければ幸いです。
Bonne lecture et bonnes vacances !
smarcel
* le sens des hie’rarchies : 前回扱った部分の内容、本当の意味で作家足りうる人間は、ある意味孤高の存在であらざるをえない、といった内容を指しているのでしょう。
* une existence aise’ment qualifialble d’agite’e : サガン自身の生き方、つまり「まずは波瀾万丈のと形容できる」ということです。
* je n’aapre’cie plus que la motie’. : appre’cier = de’terminer la valeur de qch. ですから、四冊の書物のあり難さを半分しか分っていない、ということです。
* Et il fallut que ~, pour que …. : 「….であるためには~でなければならなかった」
[試訳]
だから私は、プルーストによってまた、ものを書くという私の熱情には困難と様々なレベルがあることも学んだ。すべてを、プルーストによって学んだとも言える。
けれども、これら四冊の書物を初めて読んだこと、またその時の光景を考えると、それでも今日認めなければならないことが一つある。それは、今になっても自分の人生の成り行きを理解することは出来ず、何ひとつ分からない、ひとまずは波乱に富んだと言える人生において、何ひとつ学ばなかったとしても、今でも私にはこれら四冊の書物が跳躍台であり、羅針盤であり続けている、ということである。それでも、それら四作品の半分も理解したとは言えないけれども。私の精神は何年もの間それらの書物に問いかけて来た。私の思い出の最も生きいきとした、もっとも完全な部分は、これらの本と結びついている。そんな思い出には私の知性のみならず、嗅覚、聴覚、触覚までもがしるしづけられてしまっている。なのに心の思い出は、まったくぼんやりとした姿しか残していない。あるいは逆に、ただ一つの感覚しか満たしていなかった。あの人を初めて愛したとき、その目をまなざし返した目の輝きや、雨の匂い、初めて仲違いした時のカフェの香りなどは、これ以上ないほど鮮明だけれども、その他は何ひとつ覚えていない。初めてのキスの時には雨が降ったいただろうかか。目を伏せてあの人が言ったのはさよならだったろうか。何も分からない。私は自分自身を生きるのに精一杯だった。だから、誰かに私の代わりに生きてもらい、それを私が読まなければならなかった。つまりは、自分自身の人生を十全に感じ取るために。
……………………………………………………………………………………
サガンのエセー、いかがだったでしょうか。はやりサガンは、「読んだから書いた」という作家の王道を歩んだ人だったのですね。
大阪では、立秋を過ぎてしばらくすっきりしないお天気が続いていました。夜には、虫の声も聞かれるようになり、やはり盛夏を過ぎたのかな、と少し一息つけたのも束の間、今日(8月12日)は茹だるような暑さでした。まだまだ気を抜けません。
残暑お見舞い申し上げます。みなさんも、どうかお身体には気をつけて、たくさん読んで下さい。
勝手ながら、夏休みを頂戴します。次回テキストは、9/25(金)までにお届けします。それまでにまたみなさんの近況(読書)報告など聞かせていただければ幸いです。
Bonne lecture et bonnes vacances !
smarcel