[注釈]
* les e^tre livre’s aux e^tres : この部分は、e^tre の多義性のために、よく分かりませんでした。ただ、現実には確固とした物語像を結ばない人生が、小説においては「運命の様相」を帯びる、という文脈を踏まえて、下記のように訳出しました。
* il n’est me^me jamais de si bouleversants he’ros que ceux qui... : ne pas si... que ~ 「~ほど…でない」
ex. Il n’est pas si ente^te’ que vous croyez.
* nous perdons leur mesure : mesure は、ここでは「尺度」を意味すると考えられます。prendre la mesure de …となれば「….の真価を見定める」という意味になります。
ここでは、「情念の果てまで」生き抜く小説世界の登場人物たちの真似は私たちにはできない、という文脈をしっかり押さえて下さい。
* Le roman fabrique du destin sur mesure. : sur mesure 「寸法に合わせて、オーダーメイドで」ここでも、小説がそれぞれの登場人物に相応しい運命を「象る」ことを表現しています。
* Une analyse de’taille’e des romans... : ここでは、chaque fois diffrentes, son expe’rience ⇔ l’essence の対比に注意して下さい。小説の展開 perspectives 、作家の経験 expe’rience はさまざまであっても、小説の本質は変わらないということが述べられています。
[試訳]
そこでは行為がそれに相応しい姿を得て、「完」の文字が記され、人々は懸命にその人生を生き、あらゆる人生が運命の相貌を帯びる。もし小説がそういうものでなかったら、一体小説とはなんであろうか。物語世界とは、人間の深い欲望に沿って、この世界を書き換えたものにすぎない。なぜならそこで問われているのは、同じこの世界であるからだ。苦悩も同じなら、嘘も恋も同じだ。登場人物たちは私たちと同じ言葉を、弱さを、力を持っている。彼らの生きる世界は、私たちの世界と比べて、美しくも、説教臭くもない。ただ彼らは、自分たちの運命をその果てまで駆け抜ける。キリーロフやスタヴローギン、グラスラン夫人、ジュリアン・ソレル、クレーヴ公といった、その情念の極北まで辿り着いた人物たちほど、読み手の気持ちを揺さぶる主人公たちはけっしていない。この世界においては、私たちは彼らの大きさを測れない。なぜなら、彼らはその生を全うするが、私たちにはそれが果たせないからだ。(…)
つまり、これが想像世界である。けれども、この世界を書き換えたものなのだ。そこでは、苦悩が、もし望むのであれば、死に至ることもあり得る。情念は生半可なものではありえない。さまざまな人間が凝り固まった思いにとらわれ、一人ひとりが常に向き合っている。ひとはついにそこでおだやかな自らの姿と枠を手に入れる。それは、その実人生の条件に囚われたままでは、求めても虚しかったものだ。物語がそれぞれに相応しい運命を象る。そのようにして物語は人間の生誕と肩を並べ、束の間であっても死に打ち勝つ。名の知れたさまざまな小説を分析してみると、物語の展開は異なっていても、小説の本質が、その度にくり返されるこの書き換えにあることが分かる。作家がその経験に基づいて行っても、その書き換えは、常に同じ方向に導かれている。それは、ただ説教臭く、純粋に形式のみを目指して行われるわけではなく、何よりもまず統一を目指し、そのことによって形而上的な欲望を表現する。小説とは、この面において、まずなによりも、この世界に郷愁と同時に反抗を覚える感性のための、知性の行使である。
………………………………………………………………………………………….
『反抗的人間』、いかがだったでしょうか。また疑問に思うことがあれば、遠慮なくお尋ね下さい。
さて、次回からは、がらりと趣をかえて、Le Monde の日本特派員が書いた沖縄レポートを読むことにします。テキストはこの週末までにはお届けします。お楽しみに。
smarcel
* les e^tre livre’s aux e^tres : この部分は、e^tre の多義性のために、よく分かりませんでした。ただ、現実には確固とした物語像を結ばない人生が、小説においては「運命の様相」を帯びる、という文脈を踏まえて、下記のように訳出しました。
* il n’est me^me jamais de si bouleversants he’ros que ceux qui... : ne pas si... que ~ 「~ほど…でない」
ex. Il n’est pas si ente^te’ que vous croyez.
* nous perdons leur mesure : mesure は、ここでは「尺度」を意味すると考えられます。prendre la mesure de …となれば「….の真価を見定める」という意味になります。
ここでは、「情念の果てまで」生き抜く小説世界の登場人物たちの真似は私たちにはできない、という文脈をしっかり押さえて下さい。
* Le roman fabrique du destin sur mesure. : sur mesure 「寸法に合わせて、オーダーメイドで」ここでも、小説がそれぞれの登場人物に相応しい運命を「象る」ことを表現しています。
* Une analyse de’taille’e des romans... : ここでは、chaque fois diffrentes, son expe’rience ⇔ l’essence の対比に注意して下さい。小説の展開 perspectives 、作家の経験 expe’rience はさまざまであっても、小説の本質は変わらないということが述べられています。
[試訳]
そこでは行為がそれに相応しい姿を得て、「完」の文字が記され、人々は懸命にその人生を生き、あらゆる人生が運命の相貌を帯びる。もし小説がそういうものでなかったら、一体小説とはなんであろうか。物語世界とは、人間の深い欲望に沿って、この世界を書き換えたものにすぎない。なぜならそこで問われているのは、同じこの世界であるからだ。苦悩も同じなら、嘘も恋も同じだ。登場人物たちは私たちと同じ言葉を、弱さを、力を持っている。彼らの生きる世界は、私たちの世界と比べて、美しくも、説教臭くもない。ただ彼らは、自分たちの運命をその果てまで駆け抜ける。キリーロフやスタヴローギン、グラスラン夫人、ジュリアン・ソレル、クレーヴ公といった、その情念の極北まで辿り着いた人物たちほど、読み手の気持ちを揺さぶる主人公たちはけっしていない。この世界においては、私たちは彼らの大きさを測れない。なぜなら、彼らはその生を全うするが、私たちにはそれが果たせないからだ。(…)
つまり、これが想像世界である。けれども、この世界を書き換えたものなのだ。そこでは、苦悩が、もし望むのであれば、死に至ることもあり得る。情念は生半可なものではありえない。さまざまな人間が凝り固まった思いにとらわれ、一人ひとりが常に向き合っている。ひとはついにそこでおだやかな自らの姿と枠を手に入れる。それは、その実人生の条件に囚われたままでは、求めても虚しかったものだ。物語がそれぞれに相応しい運命を象る。そのようにして物語は人間の生誕と肩を並べ、束の間であっても死に打ち勝つ。名の知れたさまざまな小説を分析してみると、物語の展開は異なっていても、小説の本質が、その度にくり返されるこの書き換えにあることが分かる。作家がその経験に基づいて行っても、その書き換えは、常に同じ方向に導かれている。それは、ただ説教臭く、純粋に形式のみを目指して行われるわけではなく、何よりもまず統一を目指し、そのことによって形而上的な欲望を表現する。小説とは、この面において、まずなによりも、この世界に郷愁と同時に反抗を覚える感性のための、知性の行使である。
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『反抗的人間』、いかがだったでしょうか。また疑問に思うことがあれば、遠慮なくお尋ね下さい。
さて、次回からは、がらりと趣をかえて、Le Monde の日本特派員が書いた沖縄レポートを読むことにします。テキストはこの週末までにはお届けします。お楽しみに。
smarcel