[注釈]
*Si me me permet de raisonner ainsi....c’est qu’il n’est a’ aucun degre’ une œuvre de raisonnement : Si+事実の提示, c’est que +理由
*Ce que nous n’avons pas eu a’ e’clairer nous-me^me, ce qui e’tait clair devant nous,… : avoir + 名詞 a’ +inf. 「….すべき***を持つ」ですから、前半は「私たち自身が明らかにしなくてもよいもの」。後半は、前半の一種の同格で「私たちが存在する以前から明らかなもの」
*C’est du “possible“ que nous e’lisons arbitairement. :arbitraire は volontaire と意味合いは同じです。既に自明なものを私たちは「意の侭に」選択できますが、「無意志的記憶」によって私たちに偶然もたらされたものは、私たちによる解明(e’claircissement)を待たなければならないのです。
「そうしたものの第一の性格は、私たちにそれらを選ぶ自由がないということ、それらはあるがままの形で私に与えられているということだったからだ。そして私は、それらこそが真正のものであることを保証する特徴にちがいない、と感じた。」(抄訳版『失われた時を求めて』III, p.364,鈴木道彦編・訳 集英社文庫)
*une qualite’ de la vision : la vision は、「ものの見方」あるいは、世界観とも言えます。
* subtilite’s と re’alite’s : 名詞の「単・複」の区別は難しいのですが、ここでは、プルースト作品に限定されずに、普遍性、一般性を帯びた「繊細さ」と「レアリテ」が問題となっているからだと考えられます。
[試訳]
こんなふうに自作について私があえて解説するのも、私の作品がまったく理屈立った作品ではなく、作品のちょっとした細部まで私の感覚によって与えられたものであり、それがなにか分からないままに、私の奥底でまず気づかされたものだからです。そうしたものを知性で理解可能な何かに変換するのはひと苦労でした。それがまるで知的な世界と異質な、どう言えばいいでしょうか、たとえば音楽のモチーフのようなものであったかのように、苦労しました。どうもあなたは、それは繊細さの問題とお考えのようですね。違います。それは逆にリアリティそのものの問題なのです。私たち自身が明らかにしなくてよいもの、私たちを待たずとも自明なもの(たとえば論理的な思考)、そうしたものは本当のところは私たちのものではありません。私たちには、そうしたものがリアルなものであるのかどうかさえ分からないのです。それは「可能」性の領域に属するものであり、私たちは恣意的にそうしたものを選び取るのです。それにおわかりのように、そうしたことは文体によってすぐに分かるのです。
文体というのは、人々が考えているような装飾ではまったくありません。それは技術の問題でさえないのです。文体は、画家における色彩のように、ヴィジョンの質であり、私たちひとり一人が見ているけれども、他人には見ることのできない、個別の宇宙の開示なのです。一人の芸術家が私たちに与えてくれる喜びは、私たちにもうひとつ別な宇宙を知らしめてくれることなのです。
……………………………………………………………………………….
名古屋で寝込んでからは、体調も回復し、まずまず元気にやっています。みなさん、ご心配頂いてありがとうございます。今日、フランス留学以来本格的に受診した健康診断の結果を聞いてきましたが、いわゆる悪玉コレステロール値が低く、担当医から「身体的にはエリートですよ」と妙な褒められ方をされました。
さて、このインタヴューの朗読をもう一度紹介しておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=dhoqSH-VPaQ
みなさんもご存知のようにフランスは社会党出身の Francois Hollande新大統領を選び、つづく国民議会選挙でも同党を中心に左派が過半数を制することとなりました。今後しばらく政治的左派がフランス社会をリードすることとなります。ぼくが注目したのは、Hollande大統領のもとJean-Marc Ayrault首相が parite’ (男女同数)を完全実現し、男女同数の閣僚を選出したこと、そして SMIC(最低賃金)の引き上げを公約にしていることです。
ところで本日6月20日の朝日新聞に日本近代政治史の坂野潤治氏へのインタヴューが載っていましたが、坂野氏はこんなふうに語っています。
「二大政党制は政党に信念がないと機能しない。たとえば、こちらは『社会福祉、人を救え』、向こうは『競争、自己責任』という具合です。日本の政党はそこが弱い。」
昨今の最大の政治課題のひとつ、消費税引き上げにまつわるゴタゴタを見ていると、政治的信念の希薄さがもたらす日本政治の「わかりづらさ」にいらだちをすら感じます。
もちろん経済がグローバル化した中、政治的な選択肢は狭まるばかりですが、フランス新大統領の信念の具現化をしばらく見守ってゆくことにします。
次回からは、趣を変えて、最近出版された、一風変わった育児エセーを読むことにします。その文体に魅せられ最近購入したものです。まずは、編集者による紹介文を読むことにします。週末にはみなさんの元へお届けします。
Smarcel
p.s. midoriさん、お元気そうでなによりです。そちらの生活に慣れましたか。気が向いたら、また「教室」に顔を出して下さい。
*Si me me permet de raisonner ainsi....c’est qu’il n’est a’ aucun degre’ une œuvre de raisonnement : Si+事実の提示, c’est que +理由
*Ce que nous n’avons pas eu a’ e’clairer nous-me^me, ce qui e’tait clair devant nous,… : avoir + 名詞 a’ +inf. 「….すべき***を持つ」ですから、前半は「私たち自身が明らかにしなくてもよいもの」。後半は、前半の一種の同格で「私たちが存在する以前から明らかなもの」
*C’est du “possible“ que nous e’lisons arbitairement. :arbitraire は volontaire と意味合いは同じです。既に自明なものを私たちは「意の侭に」選択できますが、「無意志的記憶」によって私たちに偶然もたらされたものは、私たちによる解明(e’claircissement)を待たなければならないのです。
「そうしたものの第一の性格は、私たちにそれらを選ぶ自由がないということ、それらはあるがままの形で私に与えられているということだったからだ。そして私は、それらこそが真正のものであることを保証する特徴にちがいない、と感じた。」(抄訳版『失われた時を求めて』III, p.364,鈴木道彦編・訳 集英社文庫)
*une qualite’ de la vision : la vision は、「ものの見方」あるいは、世界観とも言えます。
* subtilite’s と re’alite’s : 名詞の「単・複」の区別は難しいのですが、ここでは、プルースト作品に限定されずに、普遍性、一般性を帯びた「繊細さ」と「レアリテ」が問題となっているからだと考えられます。
[試訳]
こんなふうに自作について私があえて解説するのも、私の作品がまったく理屈立った作品ではなく、作品のちょっとした細部まで私の感覚によって与えられたものであり、それがなにか分からないままに、私の奥底でまず気づかされたものだからです。そうしたものを知性で理解可能な何かに変換するのはひと苦労でした。それがまるで知的な世界と異質な、どう言えばいいでしょうか、たとえば音楽のモチーフのようなものであったかのように、苦労しました。どうもあなたは、それは繊細さの問題とお考えのようですね。違います。それは逆にリアリティそのものの問題なのです。私たち自身が明らかにしなくてよいもの、私たちを待たずとも自明なもの(たとえば論理的な思考)、そうしたものは本当のところは私たちのものではありません。私たちには、そうしたものがリアルなものであるのかどうかさえ分からないのです。それは「可能」性の領域に属するものであり、私たちは恣意的にそうしたものを選び取るのです。それにおわかりのように、そうしたことは文体によってすぐに分かるのです。
文体というのは、人々が考えているような装飾ではまったくありません。それは技術の問題でさえないのです。文体は、画家における色彩のように、ヴィジョンの質であり、私たちひとり一人が見ているけれども、他人には見ることのできない、個別の宇宙の開示なのです。一人の芸術家が私たちに与えてくれる喜びは、私たちにもうひとつ別な宇宙を知らしめてくれることなのです。
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名古屋で寝込んでからは、体調も回復し、まずまず元気にやっています。みなさん、ご心配頂いてありがとうございます。今日、フランス留学以来本格的に受診した健康診断の結果を聞いてきましたが、いわゆる悪玉コレステロール値が低く、担当医から「身体的にはエリートですよ」と妙な褒められ方をされました。
さて、このインタヴューの朗読をもう一度紹介しておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=dhoqSH-VPaQ
みなさんもご存知のようにフランスは社会党出身の Francois Hollande新大統領を選び、つづく国民議会選挙でも同党を中心に左派が過半数を制することとなりました。今後しばらく政治的左派がフランス社会をリードすることとなります。ぼくが注目したのは、Hollande大統領のもとJean-Marc Ayrault首相が parite’ (男女同数)を完全実現し、男女同数の閣僚を選出したこと、そして SMIC(最低賃金)の引き上げを公約にしていることです。
ところで本日6月20日の朝日新聞に日本近代政治史の坂野潤治氏へのインタヴューが載っていましたが、坂野氏はこんなふうに語っています。
「二大政党制は政党に信念がないと機能しない。たとえば、こちらは『社会福祉、人を救え』、向こうは『競争、自己責任』という具合です。日本の政党はそこが弱い。」
昨今の最大の政治課題のひとつ、消費税引き上げにまつわるゴタゴタを見ていると、政治的信念の希薄さがもたらす日本政治の「わかりづらさ」にいらだちをすら感じます。
もちろん経済がグローバル化した中、政治的な選択肢は狭まるばかりですが、フランス新大統領の信念の具現化をしばらく見守ってゆくことにします。
次回からは、趣を変えて、最近出版された、一風変わった育児エセーを読むことにします。その文体に魅せられ最近購入したものです。まずは、編集者による紹介文を読むことにします。週末にはみなさんの元へお届けします。
Smarcel
p.s. midoriさん、お元気そうでなによりです。そちらの生活に慣れましたか。気が向いたら、また「教室」に顔を出して下さい。