[注釈]
まずはふたたびdes bonnes paroles について。midori さん、Mozeさんも有益なご意見ありがとうございました。ぼくも、『新・朝倉文法事典』ほか、いくつかの文法参考書にあたってみたのですが、みなさんが寄せてくれた回答に付け加えることは何もありません。勉強になりました。ぼくはこうした文法に対する目配りがあまり利きません。また色々とご教示下さい。
* ce qui e'tait tre's alarmant : ここのce ですが、ぼくは Il a semble'...以下前文を受けていると取りました。試訳を参照して下さい。
* Que l'espoir,...qu'il ne s'agissait ... : ここは、ちょっと破格の構文だと思われますが、この二つのque に導かれている節が、あとの cet espoir の説明となっているようです。
[試訳]
医師たちの診断は明解ではなかった。最初にかかった一般医は、すぐに親身な、人間的な人だと見て取れたが、初診の際の翳りのある様子で私たちは心配になった。その医者は、娘は歩くことも出来ないし、歩けたとしてもわずかであろうと信じているように見えた。その様子に私たちは怯えたが、それは杞憂に終わった。ほとんどの医師たちは慎重で、用心深く、あたかも私たちとかかわりたくないようであった。あるいは私たちに判断や診断を委ね、自分たちで苦悩を発見させようとしているかのようであった。
いつ私たちは自分たちが苦悩のただ中にあると知ったのだろうか。ギャランスは少し他の子供たちより遅れているだけに過ぎない、「よい子たちにすこし出遅れていてもすぐに追いつくだろう」そうしたしばらくは抱けた希望は、いつ潰え、真実を思い知らされたのだろうか 。--ギャランスは、他の子供たちとは違う、違ったままだ、娘が苦しめられているのは、これと確定できない病であり、人並みの女の子に、娘に、「私たちのような」おとなにもなれはしないという真実を。正確な日付、これといった瞬間、決定的な出来事などなかった。たくさんの推測があり、相矛盾する多くのことが明るみになり、ついには、緩やかな坂道を下るように、わずかずつ、次第に、私たちは認めたのだった。私たちは他の親子とは違う、この奇妙な、未知の、思いがけない苦悩が私たちに根付き、もうけっして私たちの元を去ることはないのだと。
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<<Ecouter Haendel>>いかがだったでしょうか。以前お話ししたように、この書物はヘンデルの楽曲に導かれて手にしたものでしたが、ここのところ日本で話題になっている「出生前診断」の問題とのつながりも意識しながら、ぼくは興味深く読んでいました。
さて、早いものでつぎのテキストが今年最後の課題となります。
ご存知の方もあるかと思いますが、今年2012年は、J.J.ルソーの生誕300年にあたります。それで、今年の締めくくりにルソーのテキストを読むことにします。テキストの用意が間に合わなかったのですが、来週中にはみなさんの元にお届けするか、該当するサイトをお知らせすることにします。
ここ岡崎の街中にある公園などの樹々もいよいよ色づいて来ました。街はすっかり初冬の装いです。どうかお風邪など召さないよう、みなさんも気をつけて下さい。Smarcel