[注釈]
* ...pourraient sugge'rer...mais… : このpouvoir の条件法現在形は、弱い、あるいは、ここではできれば回避したい事態を指しています。つまり、モディアノにとって自身の作品はいわゆる自伝小説ではないと主張しています。
*une partition musicale qui lui semblera...Il aura chez le romancier… : こうした単純未来形は推量ではなく、断定に近い判断を示しています。「小説家の私にはわかるのだが、作家とはそういうものだ」という思いです。
* <<Sois toujours mort en Eurydie.>> : ここでのリルケの引用は、ぼくも少々唐突に思えました。ウィルさんが仰る通り、文学と音楽の関係を論じたこの文脈でのネルヴァルの引用は明解ですが、存在と不在をめぐる精妙なドラマを歌ったリルケの詩の引用は、この流れに適切だったのかどうかわかり辛い。
以下のサイトも参照下さい。
http://agora.qc.ca/thematiques/mort/documents/sonnets_a_orphee_extrait
むしろ<<sois un verre qui sonne et dans le son déjà se brise.>>「響きを立てていると同時に、その響きにおいてすでに砕けているグラスであれ」の部分の引用の方がより適切ではなかったか、とモディアノに進言したい気もします。
[試訳]
この作品集のはじめに再録した写真や資料によると、こうした「物語」はすべて一種の自伝と思われるかもしれませんが、それらは夢見られた、あるいは想像上の自伝なのです。私の両親の写真でさえ、想像上の登場人物たちの写真となっています。ただ私の弟、妻、娘たちだけが実在する人物なのです。モノクロームのアルバムに写し出された、ちょっとした人物や幻影に関してはどうでしょうか。私はそれらの面影を、とりわけその響きのために、そうした人物の名前を利用して来ました。彼らはもはや私にとって音符でしかなかったのです。
要するに、小説家の仕事とは、目に留めたかもしれない、あらゆる人物や、風景や通りを一冊のスコアの中に引き込むことなのです。そこには、あの作品にもこの作品にも同じ旋律の断片が見つけられることでしょう。それでも小説家にはそのスコアはきっと不完全に思えるはずです。作家には純粋な音楽家になれなかった、ショパンの夜想曲集を作れなかった悔いが、必ず残るものなのです。
けれども、青春時代私に文学を愛することを教えてくれた作家たちは、純粋な音楽家であったことを私は忘れはしません。今日でも私はリルケのことを、ネルヴァルのことを考えています。「オルフェウスに捧げるソネット」の中のリルケの鋭く響く命令を、私は忘れたことがありません。「常にエウリュディケのうちに死してあるべし」また自分自身のことを語ったネルヴァルの謙虚さと優しさも忘れません。「そこにはひとりの詩人を成しうるものがあったが、私は散文で夢見る男でしかなかった」
2013年5月 パトリック・モディアノ
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モディアノの「散文」いかがでしたか。モディアノがノーベル文学賞を受賞したあと彼と会食したフランスの文化大臣が、彼の作品を一冊も読んだことがなかったことを正直に認め、意地の悪いマスコミがちょっとした騒動としたことがありました。この「教室」で昨年末にお話ししたぼくの恩師の息子さんも、まだ読んだことがなかった彼の作品を亡き母の蔵書の中からとりだし、読んでみたとのメールを先日送ってくれました。
この秋、手袋が手放せなくなる頃まで、暇を見つけては数ページずつ音読していた<<Dans le cafe' de jeunesse perdue>>を、ぼくも年内には読み切ってしまおうと思っています。
さて、今年度最初の授業でぼくは新入生に向かって、今教育はまちがいなく「富国強兵」政策に巻き込まれつつあるという話をしました。そのなかでフランス語を学ぶ意義が試されていると。
実は、あまり気は進まなかったのですが、巷で話題になっている内田樹『街場の戦争論』(ミシマ社)を読みました。内田自身がいうところの「いつもの話」も部分的にはありましたが、やはり引き込まれて短期間で読み上げました。その「まえがき」で述べられている通り、この書物は、白井聡、中島岳志、赤坂真理といった内田より年若い人々が、どうしようもない危機感から近年綴った書物につながるものです。少しだけ引用しておきます。
「あの敗戦で日本人は何を失ったのか、それを問わずにきたせいで、僕たちの国は今「こんなふう」になっている。戦争から何も学んで来なかった人たちがもう一度日本が戦争できるような仕組みにこの国を作り替えるために必死になっている。それに喝采を送っている人たちが少なからずいる。戦争から僕たちは何も学ばなかった。」(p.29)
この冬も凍え、飢え、深い孤独から膝を抱え身をこわばられている人々が少なからずいることでしよう。でも、テレビニュースでは、朝鮮半島のありようが、中国が嘆かわしいとくり返す一方で、ニッポンはこんなにも素晴らしいといったメッセージが毎晩流されています。今ぼくたちがその上に乗っかっている一見おだやかに見える勾配が、いったん滑り出したら登り直せない傾斜にならないか、五官と頭脳を研ぎすませていなければなりません、年があらたまっても。
来年度は某国立大学でフランス語を専攻する学生たちとプルーストを読む機会に恵まれました。こうしてみなさんとお話しできる機会はもう少し間遠になるかもしれませんが、来年もどうかよろしくお願いします。みなさんも、どうかよいお年をお迎え下さい。Shuhei