[試訳]
内面世界にあっては私たちは自由だ。そこには強制も障害もない。つまり私たちの詩は、私たちの生まれる前にも、また私たちの死後にも位置するということになるだろうか。
詩の読者は、こうした象徴的次元やそれを取り巻くオーラを考慮に入れなければならない。というのも白いページの一枚一枚には、あらかじめ死が影を落としてしまっているからだ。
私たちには、フランシス・ポンジュが「言葉の洗濯屋」と言った、私たち詩人には、もうひとつ課せられた仕事がある。クリスチアーヌ・サンジェールの言葉を引こう。「言葉を人質に取ったり、悪用することにないよう気をつけなければなりません。ただ言葉によってのみ、私たちは意識の領野に近づけるのですから。それは内面空間を開け放つ鍵なのです。」
私たちの言語は聖なるもの。それを保護し、見守ろう。けっして絶やしてはいけない炎のように。言語こそが世界の夜を照らさなければならないのだから。
アニーズ・コルツ
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misayoさん、Mozeさん、今回も訳文ありがとうございました。この序文の後半部分は、文章の筋目も「詩的」となっていて、なかなか難しかったですね。こんな試訳でその詩的論理をどれだけ辿れたか心もとない限りですが、またご意見などがあればお聞かせください。
ところで、先日ここで紹介した吉増剛造の書物の中で、鮎川信夫『現代詩作法』(思潮社)が紹介されていました。吉増が詩の道を志すにあたって大きな影響を受けた一冊としてです。アマゾンで調べてみると古本がありました。1963年出版のものでした。
ぼくは本を読む時、要所要所に線を引きながら読む癖があるのですが、入手した古本は、さすがに印刷は少し薄れ、ページも淡いセピア色を帯びていましたが、書き込みひとつない綺麗な状態。半世紀の時を越えて、奇妙な縁から手にした同書をいつものように棒線で汚すのは忍びなく、引用されている詩を(吉増によるとその選詩がすばらしいとのこと)何度もくり返し読みながら、とにかく今回はきれいに読み終えました。
なんだかこのままこの本を自分の手元に置いておくのは畏れ多いような気がして、いわゆる「現代詩」に触れたい人に、リレーのように手渡したい気持ちになっています。もし読んでみたいという方がありましたら、遠慮なくご一報ください。郵送いたします。
その後も「現代詩」ずいてしまって、田村隆一(語り)『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』(ちくま文庫)も読みました。明日からは、『戦後代表詩選 鮎川信夫から飯島耕一』(詩の森文庫)を携えて通勤しようと思っています。
さて次回のテキストですが、フランスの雑誌 Téléramaの臨時増刊号「20世紀の詩人たち」の中でAnise Koltzに触れた章を読むことにします。断片的ですが、彼女の詩も引用されています。また近いうちに新しいテキストをお目にかけます。 Shuhei