フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

アニーズ・コルツについて(4) テレラマ臨時増刊号「20世紀の詩人たち」より

2016年07月20日 | 外国語学習

[注釈]

 *les êtres les plus proches (...) se démultiplient,  「わたし」の最も身近な者たちが「普遍的な」存在となるという文脈ですから、dé+multiplier このdéは「強意」だと解釈しました。たった三人の身内が、その数を増やし、そして普遍的存在になるのだ、と。

 *A travers eux, les morts…; euxの説明がles morts sとなっています。

 *<<Un brocanteur>>, ce dernier: 「古物商」とは後者、つまり時間の隠喩です。

 

[試訳]

 最も身近な者たちの三位一体は、言葉にとらえられると、増殖し、骨抜きになり、やがて普遍的なものへと変貌する。その者たち、死者たちを通して、詩の内部に災禍の記憶が打ち建てられる。そうすると、詩人である「わたし」は、「彷徨う死者たちのモニュメント」に様変わりする。救いは彼方から、神のいないこの地上を逃れたところからやって来る。その救いにおいて、この世のひとつ一つの断片が「普遍宇宙の断片」へと変貌する。そのことを歌う詩が、アニー・コルツの最も美しい作品のひとつである。「わたしはあなたの口伝いに/宇宙の断片を口にする。/太陽も/足元の石も動かすことなく」アニー・コルツはこうして、何冊もの詩集を通して、ただ一冊の書物を記してきた。五つか六つのテーマが止むことなくその画布を織りなしてきた。いくども繰り返されるマントラのように、その響きは精神を解放し、精神は生と死の謎に、空間と時間の謎に密接に関わる。時間という「古物商」は過去を未来へと引き替える。「時間はそれに触れようとすると/顔面にわたしの遺灰を投げつける」

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 慌ただしかったにもかかわらず、misayoさん、Mozeさん、midoriさん訳文ありがとうございました。

 またフランスで惨劇が繰り返されました。日中エメラルドグリーの海を照らしていた眩いばかりの太陽が沈み、今度は賑やかな花火が夜空に、大輪の花をいくつも浮かび上がらせたその直後に、理性も感情も押し殺した盲目的に暴力によって、また数え切れないほどの命が踏みにじられました。

 パリよりも小規模ながら、路面電車に乗ればオペラハウスや数々の美術館に気軽に足を運べるニースが、この街の春がぼくは大好きでした。

 昨年11月のパリのテロで妻を亡くしたAntoine LérisがLe Monde紙に、亡き人を偲ぶ灯火のにおいに、時に吐き気さえ催すが、窓辺の蠟燭の火を絶やすことはできない。そのかすかな灯明はどんな暴力にも屈することがない。といった短い一文を寄せていました。また直後のLibérationの社説のNous sommes démunis.という直裁の言葉、いわば敗北宣言に、かえってフランス市民社会の強靭さを感じました。

 また夏がやってきました。暑中お見舞い申し上げます。

 次回が区切りとなりますが、27日(水)にこの文章最後までの試訳をお目にかけます。Shuhei



4 コメント

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Lecon339 (Moze)
2016-07-26 16:20:36
アニーズ・コルツは、影の伝令者であり、謎をとなえる人でもある。「叫びの伝令者」であり、また「宇宙をひび割れさせた人」でもある。それはアニーズ・コルツの詩の力である。彼女の詩は、内蔵モーターのように、イメージを震わせ、ひっくり返し、隠喩がイメージに押し付けるコルセットの向こうに投げ飛ばす予想のできない隠喩化に満ちている。だからアニーズ・コルツの詩は短い。彫刻に近い。ほとんど俳句であり、格言のようでもある。どの言葉も重い。沈黙がよけいなものを飲み込んでいる。形容詞は使わない。言葉に飾りは必要ない。言葉は原石でなければならない。原石は集められ、世界に放たれる。世界で人間が作り直されるのは、そのようでしかない。しかし、結局アニーズ・コルツの全ての著作行為の主題は、詩そのものではないだろうか?どの詩もひとつの詩法をなしている。アニーズ・コルツは、「血のパンを作るために、この地上のイメージにあわせて、言葉を切る」。彼女は、「死に従うように言葉に従う」。
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記録をひもとけば、この「教室」が始まったのは2004年でした。なんと12年間もお世話になりました。フランス語はもちろん、日本語に訳し書いてみるという貴重な勉強ができたこと、古典、小説、詩、新聞、雑誌に至るまで多種多様なフランス語のテキストを読む機会に恵まれたことに心から感謝しています。テキストから初めて知ることもたくさんありました。また、「教室」に参加されているみなさんがいらしてこそ、続けられてきましたしたので、そのみなさんにもお礼を申し上げたいです。ありがとうございました。「教室」が閉じられるのは、ほんとうに名残惜しいですが、また新しい扉を開きましょう。先生がフランス語で綴られるものを楽しみにしております。ぜひ私たちにもお知らせください。
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Unknown (midori)
2016-07-25 18:13:07
先生、みなさん、こんにちは。
今回で教室が終わってしまうのはとても寂しいです。
先生とみなさんのご健康とご多幸をお祈りしています。ありがとうございました。

アニーズ・コルツは影を持ち、謎を組み立てる。「彼女の持つ叫び」はまた、「宇宙にひびを入れた」。それが彼女の詩の力だ。思いがけない隠喩が豊かに詩に現れ、内部のエンジンのような隠喩に、心に浮かぶイメージは震え、ぶつかり合い、詩が生む狂気の向こうへとイメージを投げてみせる。なぜなら、そう、アニーズ・コルツの詩は短いから。注意深く彫られている。俳句と言ってもいいほどに。格言と言ってもいいほどに。一語一語が数えられている。沈黙が余分なものを飲み込む。形容詞は使われない。言葉は飾りを必要としない。言葉はごつごつとした石でなくてはならない。拾われ、世界に向けて投げられる。こうすることによってのみ、世界に愛する人を再び見出す。
しかし、結局のところ、アニーズ・コルツの詩作全体の重要なテーマは、詩そのものではないだろうか。詩の一行一行が詩的芸術となる。アニーズが「言葉を切るのは/言葉の血の塊を作るため/地上に似せて」。彼女は言葉の前にひざまずく。死の前になすすべがないように。
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ありがとうございました (ウィル)
2016-07-23 09:03:09
ウィルです。ずいぶんとご無沙汰しております。
さぼっている間に、なんと、今回で「教室」が最終回だそうで、残念です。実は、この数年、アニメ・声優を中心とするオタク活動にはまっていて、週末が忙しいうえに、(何の意味もないのに)英検1級受験をしていて、「教室」には参加できずにいました。先日、ようやく英検1級に合格し、今まで、落ちるのが嫌で受けずにいたフランス語検定1級を受験しようと思い立ったところでした。「さて、私にとって第一外国語であるはずのフランス語にようやく真面目に取り組むぞ」と思い、「教室」にも真面目に参加しようと思ったと矢先だったので、「教室」の終了ということはかなりショックでした。本来あるべきフランス語の勉強というものをネットを通して先生から受けていたと思っています。長い間、本当にありがとうございました。先生からは、「失われた時を求めて」についても色々教えていただきありがとうございました。「教室」は終わっても、先生のツイッターで、リベラルなご意見を拝聴していこうと思います。私自身は、仕事の関係もあり、かなり保守的なのですけれど。

そういえば、オフ会を一度やりたいと思っていたのですが、できずじまいでした。(私が欠席中に開催していなければ・・・)可能であれば、一度、同窓会的なものを開催することはできませんでしょうか?

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アニーズ・コルツは、秘密を持つ人であり、謎を積み上げる人だ。同じく、「世界にひびを入れた叫びを持つ人」だ。それは、彼女の詩の力である。思いがけない暗喩化に満ちており、その暗喩化は、内部動力として、像を震わせ、それを強く押し、彼女がそれらに課す拘束服を超えてそれを射出する。そう、それは、アニーズ・コルツの詩が短いからだ。注意深く削りこまれている。ほとんど俳句だ。ほとんだ金言だ。それぞれの言葉があまりない。静けさが余剰のものを飲み込んでいる。形容詞は追放されている。言葉は修飾を必要としていない。それは原石であることが必要だ。集められ、世界に向かって投げられたものだ。そんなわけで、この世で存在が再構築されたにすぎない。しかし、最後に、アニーズ・コルツの全ての書き物の主要テーマは、詩それ自体ではないのか?それぞれの詩句が詩的な芸術になっている。彼女は、「言葉を切り分ける/それで血のパンをつくるために/大地の姿に似せて」。彼女は、死に従うように、言葉に従う。
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Anise Koltz par Jean Portante 5 (misayo)
2016-07-22 14:33:43
 こんにちは、みさよです。最後の訳文となっていまいました。先生、皆さんありがとうございました。まだまだ未熟だと痛感しています。それでも小説ぐらいは読めるかなと楽しみにしています。本当に心より感謝しています。さようなら。

 アニス・コルツは影の配達人であり、謎の気取り屋です。「叫びの配達人」であるとともに、「宇宙にヒビを入れる」人でもあります。それが彼女の詩作の力なのです。心の内のモーターのように、豊かで思いもかけない隠喩が、イメージを揺り動かし、それらを一変させ、彼女がそれらに押し付けた拘束服の彼方に、それらを投げ飛ばすのです。というのもアニス・コルツの詩はとても短いからです。注意深く刻み込まれていて、ほとんど俳句か格言のようです。それぞれの言葉が、計算されつくされています。沈黙は余分なものを飲み込みます。形容詞は追い払われ、言葉は修飾を必要としません。言葉は自然のままの石でなければなりません。拾い集められ、世界に投げつけられたのです。このようにしてしか人間は世界に再び構築されないかのようです。
 でも結局、アニス・コルツのあらゆるエクリチュールの主要なテーマは、詩そのものではないでしょうか。ひとつひとつの詩句が、詩的な芸術となっています。彼女とは「言葉を切り分け/それで血のパンを作り/地上のイメージにする。」彼女は死者に従うように、言葉に従うのです。
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