フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

アニーズ・コルツについて(3) テレラマ臨時増刊号「20世紀の詩人たち」より

2016年07月14日 | 外国語学習

[試訳]

 場、それはアニーズ・コルツの作品にくり返しあわられる主題にひとつである。そこには、神はいない。あるいは不在の神とともにあると言うべきか。やむことなく呼ばれ続けていても、この世には存在せず、むしろその拒絶によって存在している神。「どこに神はいる?(...)教会の壁には『不在』の手配書が貼られている。」神はまた、命よりも死を好む「屍体性愛者」である。それは疑いようがない。「神が私に触れようものなら/雷鳴を見舞わせてやる。」要するに、「人間という波頭に座礁した」神は「消え失せた。/最後のディアノザウルスとともに」神は親しげに呼びかけられている。あたかももう一度だけ目覚めさせなければならないかのように。それは、空の不在を神に統べてもらうためではない。「その十字架から降りてこい」と詩人は命じる。「わたしたちには薪がいるのだ/暖をとるのに」「この地のほかにどこにもこの世はない」のだから。しかしその他にもこの世を賑わす人々はいる。身近な人々だ。コルツの詩のどこにでも顔を出す。母、父、そしてあの人。この地上の三位一体。「わたしは使い果たした 父を/母を/恋人たちを(...)世紀の一度の出来事で/彼らを消尽させるには十分だった」「生誕という猛威」がこうして最初の叫びとなる。「母の乳房には/釘が詰まっていた」衝撃的な詩集『大地は黙る』(1999)は謎の母を歌う。「母は今でも生きている/わたしのからだの中で/けっして追い出してしまえない/いにしえの恐怖のように/わたしの乳となり母は わたしのからだを巡る/母はわたしの謎/冒涜的なおとぎ話」

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 misayoさん、Akikoさん、midoriさん、Mozeさん、訳文ありがとうございました。

 みなさん早々と訳文を作られて勉強熱心だな、と感心していたら、昨日の水曜日がお約束の日だっだのですね。来週が前回から2週間目の水曜日と思い込んでいました。暢気に構えていて、一日遅れの試訳となりました。ごめんなさい。

 散文に断片的な挟まれる現代詩。なかなか骨が折れました。モンペリエ土産の小さな詩集がこの記事につながったのですが、コルツの詩に親しんでいない身には雲をつかむようなところがあります。彼女の詩の翻訳もまだ無いようですが、いずれ日本でコルツが本格的に紹介される日を楽しみに待ちたいと思います。

 今月中にはこのテキストを読んでしまいたいので、変則的になりますが、次週20日にmes morts>>.までの試訳をお目にかけます。Shuhei



3 コメント

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Anise Koltz par Jean Portante 4 (misayo)
2016-07-17 10:09:57
 こんにちは、みさよです。残り少なくなり名残おしいですね。

 最も身近な人の三位一体は、言葉が彼らを捉えると、拡散して、核心を失い、普遍的なものになります。彼らを通じて、死者は詩の中に悲惨な記憶を組み立てます。詩人の「私」はその時「歩き回る死者の慰霊碑」に生まれ変わるのです。救済は外から来るのです。神聖ならざる現世から逃れ出てくるのです。そこでこの世のかけらが、それぞれに宇宙の断片に変身するのです。そのことを歌う詩は、アニス・コルツの詩の中で最も美しいものです。「あなたの口の中で私は吸う/宇宙のかけらを/太陽も動かさず/私の足元の石も動かさずに。」
 アニス・コルツはこうして、詩集から詩集へと、ただひとつの本を書いているのです。5~6のテーマが、たゆみなくそれを布へと織り上げるのです。マントラの水車のように繰り返し現れ、その揺れが精神を自由にし、生者と死者の謎で、網にからめとるのです。場と時の謎。「古物商」この者が、過去を未来と取り換えるのです。そしてそれは「私が触れようとすると/私の死者たちの灰である像に、私を投げつける」
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Lecon338 (Moze)
2016-07-19 22:07:09
ますます難しいですね・・・。なんだかぼんやりしか意味がつかめませんでした。
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近しい人々の三位一体は、言葉がその人々をとらえると、縮小し、分解され、普遍的になる。彼ら死者を通じて、詩の中で、破滅的な記憶が作られる。その時、詩人である「私」を、「生きた慰霊碑」に変える。救いはよそから訪れる。神なき地上から逃れるものによって。そこでは世界のどの断片も「宇宙のかけら」と変わる。それを歌う詩は、アニーズ・コルツの詩の中でも最も美しい。「私はおまえの口で、宇宙のかけらを舐める、太陽も足元の石をも動かすことなく」。そうしてアニーズ・コルツは、選集をつむいで、一冊の書物を書く。5つか6つのテーマが絶えずその布を織っている。マントラの水車のように繰り返しながら、その振動は魂を解き放ち、生と死の謎とともに、魂の網をはりめぐらせる。空間と時間の謎もある。「古道具屋」この者は、過去を未来に取り換える。そして、「私がこの者に触れようとすると、私の顔に、私のなき遺骸の灰を投げつけるのだ」。
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Unknown (midori)
2016-07-19 22:22:47
先生、みなさん、こんにちは。
暑くなりましたね。今回もとても難しかったです。

最も親しい人たちの三位一体は、言葉で描写されると、力を増し、自由自在に動き出し、普遍的なものとなる。彼らを通じて、死者は詩の中で自身のために悲惨な記憶を形にする。その時、詩人の使う「Je(私)」は生きて動く慰霊碑に変わる。救いは他の場所から訪れる。地上のものでもなく、神のものでもないもののもとから。その中では世界の一片一片は「宇宙のかけら」に変わる。それを語る詩はアニーズ・コルツの最も美しい詩の一つだ。「私があなたの口の中でしゃぶるのは/宇宙のかけら/太陽を動かすことなく/私の足元の石を動かすこともなく」
アニーズ・コルツはこうして、詩から詩へ一冊だけの本を書く。五つか六つのテーマは止まることなく本という布を織る。呪文をくみ上げ続ける水車のように。その振動は心を解き放ち、生と死の謎に結び付ける。空間と時間の謎。「古物商」、それは過去と未来を交換する。「私が触れたいと思うと」その古物商は「私の顔へ投げつける/私の死者たちの灰を」。
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