優越感は自信ではない

2005年09月21日 | メンタル・ヘルス
人気blogランキングへ

 さて、このあたりまで講義が進んでくると、必ずといっていいくらい出てくる疑問があります。

 ネット学生のみなさんも、たぶんおなじような疑問が湧いていると思いますので、それに答えていきましょう。

 まず①は、「能力や長所が少ししかないのに、自信なんか持てるんだろうか、持っていいんだろうか?」というものです。

 こういう疑問の裏には、「人と比べてものすごく優れていなければ、自信を持つことはできない」という考え方があると思われます。

 すでにお話ししてきたように、私たちは競争社会に生きていますから、どうしても人より優れていることが価値だと思いがちです。

 そして、自分が人より優れていると思っている状態、つまり「優越感」が「自信」だと思いちがい・混同しているのです。

 思いちがいといいましたが、言葉は定義しだいでいろいろな意味を持たせることができますから、「優越感=自信」と定義してもいけなくはありません。

 しかし、私は、「優越感」は「本当の自信」ではない、と定義しています。

 優越感というのは、他と自分を比較して自分が優越しているという気持ちですから、比較が前提になっています。

 したがって、もし比較して劣っていたら、劣等感を感じざるをえないということになります。

 つまり、優越感と劣等感は裏表なのです。

 そして、世界で一番でないかぎり、自分より下を見ると優越感を感じることができても、自分より上は必ずいますから、その人に対しては劣等感を感じざるをえません。

 「高校の時は成績が上位で自信があったのに、大学に来たら自分よりできるのがたくさんいて、自信を失った」という学生がよくいますが、私は、「それは、優越感が劣等感になったということだよね?」と問いかけ、優越感と自信のちがいの話をしていきます。

 さらに、あらゆる分野で世界一という人はありえませんから、自分にできることが評価される場面では優越感を感じられても、自分にできないことが評価される場面に行ったら、とたんに劣等感を感じなければならなくなります。

 例えば、頭はいいけれどスポーツは苦手という人は、頭のいいことが評価されるグループでは優越感を感じることができるのですが、スポーツができないとバカにされるようなグループに入ると、とたんに劣等感を感じさせられることになります。

 そういう、こちらでは優越感を感じても、あちらでは劣等感になるというふうに、ゆらいでしまう「自信」は、私の定義では「本当の自信」ではありません。

 「本当の自信」とはゆるぐことのない自信でなければならない、と思うのです。

 さてでは、そんな「自信」を得ることなんてできるのか? できる、というのが私の授業で伝えたいことです。

 まず、比較をやめて、自分自身に事実としてある能力や長所をしっかりと認めれば、事実そのものはゆらぐことはありませんから、気持ちもゆるがないはずです。

 といっても、比較しておいては「オレってダメだな」とセルフ・トークする癖があまりに強くついていると、すぐに事実が見えなくなって、気持ちがゆらいでしましがちですから、いつも事実を見る癖をつけ直す必要があるわけですが……。

 だいじょうぶです、ついた癖なら、つけ直すことも可能です!