ナルシシズムは自信ではない

2005年09月24日 | メンタル・ヘルス

 さて、もう1つ、「本当の自信」ではないと私が考えているのは、「ナルシシズム」です。

 ご存知のとおり、「ナルシシズム」とは古代ギリシャの神話に出てくる美少年ナルキッソスの話にちなんで作られた心理学的な用語です。

 ナルキッソスは、実際に美しい少年で、ある日散歩していて、泉に映る姿があまりに美しいので自分に恋をしてしまい、他の少女に恋をすることができなくなったというのです。

 この、ナルキッソスの「ナルシシズム」の場合、「うぬぼれ」と違って、事実、彼は美しいのです。

 (これも言葉の使い方の問題ですが、私は事実の裏づけが薄弱なのを「うぬぼれ」、裏づけはあるのを「ナルシシズム」というふうに区別しています)。

 ですから、これは「自信」といってもいいかもしれません。

 しかし、人間の意識は自分だけでは成り立たないようにできています。

 かつて60年代から70年代にかけて、アメリカの心理学の世界で「感覚遮断実験」というのが行なわれたことがあります。

 ボランティアの学生や社会人に、光も音も匂いもなく暑くも寒くもない温度の部屋に入ってもらい、中にいる時間が長くなったら味のない飲み物・食べ物だけを摂ってもらう、というものでした。

 その結果、早い人ではもう数時間後には意識が朦朧として混濁しはじめ、何日も入っていた人は、大きなダメージを受け、正常な意識状態に戻るまでにそうとう時間がかかるということが明らかになったのです。

 つまり、意識はそれ自体で成り立っているのではなく、いつも外からの刺激があることによって維持されているということです。

 そして、「自信」というのはいうまでもなく意識の1つの状態ですから、他からの承認・評価という刺激が一切ない状況では、獲得-確立-維持することはとても難しいのです。

 なんだか、今までいってきたことと矛盾したことをいっているように思われるかもしれませんが、そうではありません。

 戦後日本では、人から今の社会のものさしだけで比較して量られて、自信を失うということになりがちなので、自信を回復あるいは獲得するための技術的な手順として、いったん比較をやめて、事実そのものに目を向け集中することをお勧めしただけで、他からの承認・評価をまったく無視しようとか、無視できるとかいったわけではありません。

 それどころか、「本当の自信」つまりゆらぐことのない自信を得るには、できれば、できるだけ、他者からの承認・評価も得たほうがいいのです。

 ところが、「ナルシシズム」状態の人=ナルシストの場合、自分で自分を認めているのはいいのですが、他の人の能力や価値にはほとんど関心を示しません。

 その人がすごい美人や美男であるとか、すごい才能があるとかだと、最初は多くの人がその人を評価し、誉めそやしたりします。

 しかし、自分だけ認めてこちらは認めてくれない人と長く付き合うと、ほとんど法則的に嫌になってくるのではありませんか?

 ナルシストと長くつきあうと、たいていの人がうんざりしてくるようです。

 つまり、最初はその人のすばらしいところを認めていたのですが、だんだんその人そのものは好きじゃなくなる、つまり認めたくなくなるのです。

 つまり、ナルシストは他者からの持続的な評価を受けることがとても難しいので、自分だけで自分を認める努力を続けなければならないことになり、とても疲れるのではないでしょうか。

 さらに、人からの評価を受けられなくなることに対する不安をいつも心の奥に抱えることになると思われます。

 さらに加えて、例えば美しさや才能は、事実今はあったとしても、人間は変化し老いていきますから、ナルシストはナルシシズムであるためのネタをいずれ失うかもしれないという意味でも、どこかに不安を抱えているようです。

 そして、傲慢な人とおなじく、不安を抑圧するために力まなくてはならなくなるのです。

 心の奥に不安を抱え、力まなくてはならないような自信・ナルシシズムも、ふつうの意味でいえば自信の一種でしょうが、私の定義する「本当の自信」ではありません。

 さて、ここまでで、優越感、傲慢、うぬぼれ、ナルシシズムと本当の自信との違いがどこにあるかがはっきりしたと思います。

 しかし、実際の人間の心は、こんなにすっぱりと分析・整理できるものではなく、それぞれの要素が入り混じったりしています。

 ただ、こういうふうに整理して考えておくと、「本当の自信」を自分のものにしていく上で、よぶんな混乱を避けることができると思うので、あえて整理してお話ししたわけです。

 自分のことを振り返るためのヒントだと思ってください。

人気blogランキングへ