強力な協力に感謝!

2005年09月25日 | メンタル・ヘルス

 ここのところ、人気ブログランキングで7位の壁を超えられない状態が続いていましたが、寝る前にのぞいたら、ついに6位になっていました。

 広く伝えたいというのが第1の願いで、順位はそれほどどうでもいいのですが、やはり1位になると、注目度が上がって広がるだろうということと、それからもちろんまだマナ識――深層の自我にこだわる心――が浄化されきっていませんから、つい競争心が働いて、なるべく上へという願望もあるので、ちょっとじりじりしていないこともありませんでした(←微妙な表現ですね)。

 よっし! 1段階ブレイク! 生きる自信のメッセージ、日本中に広がれっ!

 みなさんの強力な協力・支持、心から感謝しています。今後ともいっそうよろしくお願いします(なんだか、選挙演説風ですが)。

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認められたかったら認めよう

2005年09月25日 | メンタル・ヘルス

 「比較をやめて、自分自身に事実としてある能力や長所をしっかりと認めれば、事実そのものはゆらぐことはありませんから、気持ちもゆるがないはずです」といいました。

 これがしっかり実行できたら、かなりの程度「本当の自信」が身についてきたはずです。

 しかしこれは、原理はシンプルでも実際にはそれほどやさしくないと感じる方もかなりの割合でいるようです。

 それには主に2つの理由があるのではないでしょうか。

 まず第1は、競争社会に生まれ育ってまわりからあまりにも比較ばかりされてきたため、頑固な癖になっていて、なかなか比較をやめられない人が少なくないということです。

 しかしある程度の年齢になると、人間はだんだん自律性が高まってきますので、比較されることによってつけられた比較する癖に気づいたら、自分の意思で直す、あるいは別のよりよい癖をつけ直すことができるのです。

 よりよいものの見方が癖になるには、かなり意識的な繰り返しが必要です。

 意識的な繰り返しの努力が必要です。

 努力しないで癖が直せるといいのですが、そういう安易で便利な方法は残念ながら私は知りません。

 しかし努力すれば直せるというだけでも有り難いことだ、と私は思うのですが、いかがでしょうか?

 次に第2は、人間は生まれる時から父母との関係の中で生まれるのであって、自分で自分を生むことはできませんし、かなりの年齢になるまでは自分で自分を育てることもできないので、他者と関係なく自分の心を形成することはできないということです。

 父母などまわりの人から、ありのままの自分を認めてもらうことができず、親から見ていい子であるとか、能力があるとかいう条件づきでしか認められたことがないという人がたくさんいます。

 そしてさらに、まわりの要求する条件がなかったので、ほとんど認められなかったという残念な幼少期を過ごした人も少なくありません。

 他者からありのままの自分を認めてもらうという体験なしに、自分だけでありのままの自分を認めるというのは、幼い時にはほとんど誰にもできません。

 したがって、まわりに認めてもらえなかったので、自分を認められないまま・自信のないまま大人になったという人もかなり多いようです。

 しかし、非常に幸いなことに人間はある程度の年齢になると、自分だけでありのままの自分を認めようという意識的な決断をし、努力をすることもできるのです。

 「誰が認めなくても、私は私自身を認めるんだ!」と。

 そうはいっても自信を持って生きていくには、他者からの承認もできるだけあったほうがいいに決まっています。

 ここが決定的なポイントですが、ある程度の年齢になりちゃんと方法を学んだら、私たちは他者からの承認を勝ち取ることも十分に可能なのです。

 ただし、それには考え方の大転換が必要です。

 私たちは、子どもの頃はまず人から認められる・愛されることを求めますし、それは自然なことです。

 しかし、大人になったら、まず人を認める・愛することを先にすることもできるのです。

 私は、若者たちに、「これは、大人の鉄則です。人から認められたいのなら、まず人を認めなさい。愛されたかったら、まず愛しなさい」と伝えます。

 「人を認める」というと、「どうすればいいんだろう」と思う人もいるようです。

 それは、まず簡単なことから始まると思います。

 人に会った時、相手を認めていれば、当然、挨拶をするでしょう?

 それから、おそらく笑顔を向けるでしょう?

 時には話しかけるでしょうし、相手の話を聞くでしょう。

 好意や関心を示す言葉をかけたり、相手が話したがっていることをちゃんと聞くでしょう。

 相手が何を望んでいるかに気を配り、できるだけ希望に沿うよう努力するでしょう。

 こうしたことを自分の方から先にするように心がけると、私の経験では7、8割の人がちゃんと応えてくれます。

 挨拶には挨拶、笑顔には笑顔、言葉には言葉、行為には行為……。

 話をよく聞いてあげた相手は、こちらの話も聞いてくれます――ただし、これはちょっと割合が減りますけどね……。一方的に話すばかりの人もいますので。

 そして、それは覚悟しておいたほうがいいのは、してあげても、して返さない人も、一定の割合ではいるということです。

 しかし、幸いにしてちゃんと返す人の割合のほうが多いようです。

 だとしたら、大人になったら、人が認めてくれるのを待っていないで、こちらから人を認める言動を能動的にしていくことです。

 そうすると、かなりの頻度と程度で、相手もこちらを認める言動をしてくれるものです。

 こういう、認めることによって認められるという体験を重ねていると、だんだん「私は人から認められている」という感じを得ることができます。

 そして、自分で自分を認めることと人から認められることが繰り返されていくうちに、次第にゆるぎなき本当の自信が育っていくのです。

 さあ、ここで判断と決断をしましょう。

 子どものように、すねたり、ふてくされたり、落ち込んだりしながら、人が認めてくれて自信をつけてくれるのを待っているのと、大人になって、意識的・能動的に自分で自分を認め、人を認め、そして人からも認められるように行動していくのと、どちらが「本当の自信」への近道でしょうか?

 そして、あなたは、どちらの道を選択しますか?

 判断し、決断するのは、あなたです。


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