NHKTVいじめ特集に思う

2007年03月04日 | 心の教育


 おととい、ようやく青色申告の提出が終わり、ほっとしました。

 夜は中級講座で、遅くに帰ってきて疲れたので、昨日はいろいろなことを少し忘れて、のんびりしたいと思ったのですが、いろいろそうもいかないこともありました。

 いろいろの一つは、昨夜、NHKテレビの夜7時半から10時まで、「日本の、これから 『いじめ、どうすればなくせますか』 市民と文科省・教師が大討論」という番組を見ての感想です。

 知れば知るほど、いじめはますます深刻になっていくばかりのようです。

 2時間半かけて、いろいろな意見が出てきましたが、最後はいつものように、「結論は出ませんが、話し合うことは大切です。これからも一緒に考えていきましょう」という話でした。

 公共放送の中立性ということからいうと、やむをえないのでしょう。

 いじめの原因についての特定の分析-判断-対策を支持することはできないのかもしれません。

 しかし、見ていて非常な不満感が残りました。

 話題にしたいのか、問題提起したいのか、解決したいのか、公共放送という以上に大人としての責任が問われているのではないでしょうか。

 もう一歩踏み込んで、元「ようこそ先輩」・現「課外授業」のようなかたちででも、いじめをなくすることのできた事例・方法の紹介などもしてほしいものだと思いました。


 で、私のコメントですが、私はいじめの最大の社会的原因については、神野直彦氏が『「希望の島」への改革』(p.202、NHKブックス)で書いておられる、以下の文章がきわめて端的・簡潔に捉えていると思います(ということは、NHKさんも全体としては、こういうかたちで特定の明快な主張の報道をしていないことはないわけですね)。


 「競争社会」とは、強者が強者として生きていくことのできる社会である。適者生存よろしく、強者が弱者を淘汰していく社会である。強者が弱者を淘汰していくがゆえに、競争社会は効率的だと誇張される。

 だが、「競争社会」のコストは高くつく。確かに競争は、経済システムのコストを低めるかもしれない。しかし、政治・経済・社会の3つのサブ・システムから成る「総体としての社会」にとってのコストは高くつく。

 強者が弱者を淘汰することは、「いじめ」以外の何ものでもない。強者が弱者を淘汰していく競争原理を伝道された子供たちが、「いじめ」に走るのは当然である。

 スウェーデンの中学校の教科書では、子供たちに人間の絆、愛情、思いやり、連帯感、相互理解の重要性を教えている。日本では人間の絆、愛情、思いやり、連帯感、相互理解を鼻で嘲笑し、白けるように、子供たちに教えている。


 一方(本音)で、友達を潜在的に、時にははっきり意識的に競争相手・敵とみなし、「強い者が弱いものに勝つのは当然だ」と教えておいて、もう一方(建前)で「強い者が弱い者をいじめてはいけない」と言っても、子どもたちは本音のほうしか学ばないのは当たり前でしょう。

 日本の大人社会全体が、競争社会から協力社会へと根本的な方向転換をしないかぎり、子ども社会でのいじめが根絶されることは、きわめて残念ながら、ないでしょう。

 しかし、そう言うだけでは、今すぐの問題には対処できません。

 社会全体が方向転換を遂げるには、まだそうとう時間がかかりそうですから(私たちはそのための努力も精一杯しているところですが)。

 けれども幸いなことに、特定の社会集団(例えばクラス)を取り仕切ることのできる権限のある人間(例えば教師)が、人間の本質が競争にではなく協力にあること――それに加えて言えば、生物の世界全体がかつて唱えられた「弱肉強食」や「適者生存」だけで語れるようなものではなく、共存的競争-競争的共存しながら、全体としてエコロジカルなバランスを保って共生しているという事実――を、知識としても感受性の訓練としても伝え、並行して相互承認のワーク等を行なえば、その集団の範囲内なら確実にいじめは予防できる、と実践に基づいて私は確信しています。

 また、いったんいじめが始まったグループでも、根気よくそうしたコスモス・セラピーを行なえば治療可能なはずだと思います(これは残念ながらまだ実践の機会がありません)。

 これは1クラスでも可能だし、まして1校単位で取り組めば大きな成果が上がるはずです。

 それは、コスモス・セラピー=コスモロジー教育には、「なぜ人を殺してはいけないか」と同様、子どもに「なぜ人をいじめてはいけないか」を納得できるかたちで語り伝えうる根拠があるからです。

 別に自分の創ったシステムを広げて有名になりたいわけではなく、子どもたちが幸せになってほしいので、一日も早くこのシステムを多くのみなさんに学び-使ってほしいと切望しています。

 NHKテレビを見ながら、またしてもはがゆい思いをした一晩でした。


 今日は、そのストレス解消というわけでもありませんが、誕生日祝いの意味もあってチケットを買っておいた、フランスの名ピアニスト、エリック・ハイドシェックのコンサートにかみさんと行ってきました。

 40年近く前からレコードで聴き続けてきたピアニストの70歳になっての演奏をじかに聴くことができたのは、ある種、感無量です。

 40年近い年月にみごとに円熟した、しかし円熟という言葉も当てはまらないほど瑞々しい演奏に、すっかり感動し、憂き世の憂さをしばし忘れ去ってしまう、すばらしい時間を過ごすことができました。

 人間は、例えばこんなに美しい音楽を創り奏でることのできる存在であり、そのことに目覚めれば、人生にはいじめや殺人や戦争などというつまらないことをしている暇はないことがわかるはずなのですが……




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コメント (4)
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