「還暦でもあることだし、このあたりで一区切り」と、春休みを利用して長年溜め込んだ本の整理をしています。
本と一緒に整理している書類の中から、新聞に書いたコラム記事の切り抜きが出てきました(「日本霊性紀行」17、新宗教新聞98.7/25)。
10年近く前も、本の整理で溜息をついていたのだなあ、と苦笑しました。
たぶん、ブログ読者のみなさんはお読みになっていないと思いますので、軽い息抜きに読んでいただこうかなと思い、掲載することにしました。
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今、段ボールの山の中で原稿を書いている。ここ20年余り自分が企画した本と、会社に貯め込んだ文献や書類を自宅に送り返したからである。どう整理しようかと、いささか溜息が出る。
文献について言えば、仏教、心理学・心理療法を中心に、現代思想、世界史、日本史、日本思想史、人類学、生物学(特に進化論)、宇宙論、東西の思想の古典、その他文学なども含め、我ながらよく貯め込んだものだと思う。正直に言うと――蔵書家はたいていそうだと思うが――こなせた分より、そのうち読みたい、読まねばと「積ん読」になっている分のほうが多く、『私はこういう本を読んできた』などという本はまだ書けそうもないが、それでも、読めた分も少なくはない。
その間、趣味的に読んだ部分を除くと、問題関心は自分でもあきれるほど明快である。なぜ、人間は戦争や環境破壊などという愚かなことをやってしまうのか、なぜ、単純に仲良く楽しく生きて楽に死ねないのか、その原因を解明し、その解決法を見出したいということだった。そしてそれは、自分に与えられた力と時間では、かなりしんどい作業だった。
で、それは見出せたのかと自問すると、荒削りながら糸口は見出せたというのが自答である。しかし、あるタイプのライター――最近は良かれ悪しかれ少なくなったが――に見られるこうした大きな構えは、ひとから見ると知識や思索の不足によるひどい思い込みにすぎない場合も多い。私にはエディターの目もあり、それはよく知っているつもりだから、独りよがりではないかどうか、ここ十年余り著作・発言活動をして世に問うてきた。
基本線をモットー風にまとめれば、「理性と霊性の統合」と「個の変容と社会の変容を同時に」である。それを様々な角度から探り語ってきた。それは最近繰り返しているように、日本の神仏儒習合の精神的伝統の再発見にもつながってきている。
そして、そうした発言に対し、大反響、圧倒的支持とはいかないが、市民からも専門家からも、かなりの手応えと共感は得つつある。(以下略)
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有り難いことに、このコラム記事の頃に比べると……依然として、大反響、圧倒的支持には到っていませんが……手応えと共感は確実に大きくなってきました。
もう一息、いや二息か三息か……といったところでしょうか。
まあ、これまでも息長く気長にやってきたので、いずれにせよ、これからも続けます。
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