孫娘の相手をしながら、明日のコスモス・セラピーの講座の準備をしました。
今日の主なメニューはおままごとでした。
ばーば=かみさんが食事を作るのを見ながら、孫娘が「わたしもお料理したい」というので、色粘土をいろいろにして、お料理ごっこ・おままごとをしたのです。
心から楽しそうに遊び、安心しきって私やかみさんに甘えてくる孫娘の様子に、いのちのつながりということと、心の絆ということを実感しました。
宇宙137億年の歴史の積み重ねが、私のいのちと心になり孫娘のいのちと心につながり伝わっているのですね。
137億年のどこがどうほんのわずか違っても、私とこの子はじーじと孫として出会うことはなかったわけです。
そのことに気づくと、孫と遊ぶという平凡なことも奇跡的な出来事だと改めて思います。
ビッグバンで宇宙が始まったから、今日のおままごとがある。
銀河が創発したから、今日のおままごとがある。
46億年くらい前に太陽系そして地球が創発したから、今日ここで孫娘と私がおままごとをすることができる……
つまり、平凡な日常がそのまま宇宙的・奇跡的な出来事である、というのが私たちが生きている現実なのですね。
だから、平凡な日々を大切に生きなければならない――論理療法風に言い換えれば、生きることが望ましい――のだと思うのです。
道徳を正式教科にするかどうか、成績の評価をするかどうかで、賛否両論、議論があるようですが、私は、それ以前にどういう内容を子どもたちに伝えるかが問題だと思っています。
そしていうまでもなく私としては、いのちは宇宙的な奇跡でありだから絶対的に尊いということを子どもたちに伝えたい、それこそがすべての倫理・道徳のベースである、と考えているのです。
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