プラスチックごみと自然の力

2020年10月02日 | 環境問題

 市橋伯一『協力と裏切りの生命進化史』(光文社新書)という本を読んでいます。

 まだ半分くらいですが、コスモロジー心理学にとってきわめておもしろく、示唆深い本なので、読み終わったら紹介記事を書こうと思っています。

 その前に、筆者は知らなかった(読者でとっくにご存じの方もおられるでしょうが)、とても希望があると思える話があったので、先にご紹介しておくことにしました。

 それは、「最近(2016年)ペットボトルの材料であるポリエチレンテレフタレート(PET)を分解して栄養源として使っている細菌が見つかりました。大阪堺市で見つかったのでその名もイデオネラ・サカイエンシスです。PETは人工的に合成された物質で1940年以前には地球上にほとんど存在していませんでした。したがって、この細菌はここ80年で新たにPETを分解する能力を進化させたということになります。」(P.25-26)という記事でした。

 早速、ネット検索してみると2016年、「ライフサイエンス新着論文レビュー」に「PETを分解する細菌の発見」という論文が掲載されていました。

 これは論文なので、姫路科学館の「科学の眼」の紹介記事「PET分解菌」のほうが読みやすいでしょう。

 プラスチックごみによる環境汚染がきわめて深刻であることは、小島あずさ・眞淳平『海ゴミ――拡大する地球環境汚染』(2007年、中公新書)や眞淳平『海はゴミ箱じゃない』(2008年、岩波ジュニア新書)などで知っていました。

 「プラスチックは自然界では分解されない」と聞いていましたので、海岸はもちろん、深海の底まで溜まり、魚や海の鳥や動物にまで膨大に蓄積しているプラスチックごみは、もう手のつけようがないのかもしれない、とかなり絶望的な気分でした。

 しかし、自然の力はほんとうに偉大というほかありません。プラスチックさえ分解する微生物を生み出したのです!

 そして、それの分解力を増進させる研究も進んでいるようです(テレ東NEWS「日本発の『プラスチックを食べる酵素』6倍早食いに リサイクルへの期待」

 プラスチックごみの問題は環境問題の大きな一部であり、人類の生活の仕方、経済、政治、そして何よりも根本的には心の問題(分別知・無明)が絡んでいて、深刻で複雑で、簡単にはいかないことはよくわかっていますが、それでも解決の一つ糸口が自然の力によって作られ、研究者によって見つけられたことは、大きな希望だと感じています。

 

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般若経典のエッセンスを語る6

2020年10月02日 | 仏教・宗教

 ところで、唐では玄奘三蔵の訳経の完成記念の会を起源として「大般若会(だいはんにゃえ)」という儀式が行われるようになり、日本でも七〇三(大宝三)年、文武天皇の命により宮中や四大寺で転読がなされて以来、今日まで多くの寺院で特に正月などに行なわれている。

 六百巻もあり唱えるには長すぎるので、省略して経典をパラパラと開いて閉じて読んだことにするのを「転読(てんどく)」という。転読を行なうお寺は今でもたくさんあるので、ご覧になった読者もあるかもしれない。

 

興福寺で大般若経転読会 空中に広げる600巻

 

 それには経典の風入れの意味もあり、乾燥した時期にやると経典の保存にはとてもいいという。だから決して無意味ではないが、内容を読まず、一般人には理解できない言葉を唱えながら、開いて閉じてという動作を繰り返す儀式だけでは、これから述べていく内容の重要さからすると非常に惜しいと感じられてならない。

 しかし、かつての日本の善男善女はこういう儀式などを見ていて、何かとても有り難く、「国も護られる。私にもご利益がある」という気がしたのだろう。とても有り難がってきたようだ。

 特に転読した経本で頭を撫でてもらうと一年間無病息災だと説くお寺もあり、善男善女がお正月や二日などにお参りして並び、僧侶が何人も分担しながら撫でている様子が報道されることがある。

 かつて筆者自身そうだったように、近代的な理性偏重の人間はそうした呪術的な儀式を馬鹿にするかもしれない。

 しかし、よく考えてみると心理的な安心効果というのは人間にとってきわめて重要なことである。

 ある時から、そういう意味で「こうした大般若会などの儀式が、たとえわけがわからなくても、日本人の心に安らぎを与えてきたこと、今でもある程度安らぎを与えていることには意味がある」と考えるようになった。

 その結果、こうした儀式も、やはり日本の文化のかたち、いわば無形文化財として、長く残していきたいという気がしている。

 ただ、わからないで有り難がるよりは、やはりわかって有り難がったほうが、より有り難いというか、現代人にとってより意味が深いと考え、筆者の理解しえた範囲で、〈般若経典のエッセンス〉を多くの読者と分かち合いたいと思ったのが、本書とそれに先立つ講義の目的である。

 

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