最近、お知らせ以外ブログ記事の更新をほとんどしていないのは、長年、ものを書き発言をしてきて、もう書くだけのことは書いた、言うだけのことは言った、あとはおなじことの繰り返しになってしまうから、という思いが強かったのが大きな理由の一つです。
しかし、日本や世界のニュースを見聞きしていると、繰り返しであっても、改めて言う、言い続けるべきこともあるのではないか、という気もしてきています。
特に気候変動・温暖化という地球的な危機の進行に対して、日本は政府も市民も全体としては適切な対応をしておらず、いい気持ちでぬるま湯の鍋に入っているうちに、気がついた時にはぐにゃぐにゃになっていて、もう出ることもできず茹で上がってしまった「茹で蛙」のような状況がどんどん進んでいる、と感じられてなりません。
それで、ブログに「このままでは茹で蛙になってしまうのではないか」という危惧を、いつから・何回くらい書いてきたのか、ブログ内検索をしてみたところ、以下のとおりでした。
よろしければ、読み直してみていただけると幸いです。
特に去年1月3日の「可能な最大限の努力を持続する」は、そのまま今日の所感にしたい内容です。
関係者のみなさん、ぜひ読んで、ご意見や感想をコメントしてください。
2006年7月15日 「もう夏?」
2007年8月21日 「今年は記録的猛暑・去年も記録的猛暑・来年はもっと?」
2008年7月28日 「今日のことば 11: この世と妥協してはならない」
2010年8月25日 「猛暑の中、環境問題の根本問題について考える」
2010年9月2日 「日本人よ、茹で蛙になる前にジャンプせよ!」
2010年10月4日 「日本人は「空気」で動く」
2011年9月6日 「 日本再生は可能なのだろうか?」
2011年9月12日 「危機的状況と飛躍的進化」
2014年1月3日 「可能な最大限の努力を持続する」
久しぶりにコメントさせて頂きます。
昨年1月3日の記事を拝見させて頂きました。
私も「茹で蛙」状況は進んでいると感じました。私の住んでいる九州だけをみてもpm2.5の濃度が高かったり、桜島は記録的な噴火を続けていたりと環境の危機は進行しているにも関わらず、相変わらず政府は景気回を最優先しています。
そんな政策に対して私もそうなのですが、国民は他に良い野党がないせいもあると思うのですが、仕方ないとあきらめ余り関心がないように思われます。先日行われた地方統一選は投票率がとても低かったそうです。
この記事を読んでまさしく日本の国民は「常民」のままだと思い知らされました。
このまま行くと日本は持続可能な社会とは程遠いものになってしまうので、先ずは自分が学びを深めて「市民」になろうと改めて思いました。
恥ずかしながら私は普段の生活に追われていると、このような事を忘れがちになってしまうので、今回の記事はそれを思い出す(薫習する)のに非常に役に立ちました。
私も可能な最大限の努力を諦めずに続けようと思いました。
お久しぶりです。
普段の生活に追われているということは、元気だということですね。まずは何よりです。
次のステップとしては、民主主義の国では、支持政党がなければ自分で作ればいいのだ、という基本を再確認しましょう。
そして、「持続可能な国づくりを考える会」などでやってきた、心から支持できる政党が誕生するための準備を、できるだけ続けましょう。
長野の標高が高い地域でもようやく桜が咲き始めました。
ブログの過去記事拝見いたしました。日本人が「空気」で動くなら、その「空気」をつくるために、自ら動いていかなければなりませんね。
明治維新後、敗戦後、日本は大きくかつ急激な自己変革を遂げることができました。
それは、よく考えた中長期計画ではなく、空気で動けたからでしょう。
そういう面を見ると、日本人が空気で動くことには、プラス面もあると言えます。
問題は、適切な方向に動けるような適切な空気をどうやって醸し出すかということですね。
ぜひ、いい空気を創り出していきましょう。
早々にお返事いただきましてありがとうございます。
>問題は、適切な方向に動けるような適切な空気をどうやって醸し出すかということですね。
本当にそうですね。
今は私のような不惑世代であっても、中長期的なな議論は、他人事、絵空事のように思っている空気があると感じます。正攻法ではなかなか難しいでしょうか。
しかし、その一方、少なからぬ人々が物質還元主義がもたらしたニヒリズムを持っているが故に、「いきがい」や「生きている意味感」、「『死』で終わらない自分」などへの、強い欲求もあるようにも思います(それを意識しているかどうかはともかく)。
もしそうであるならば、例えば、ですが「5分で分かる!生きているのがツマラナイ理由」などというニヒリズムに反応するようなタイトルでありつつ、その実、読者が先生のコスモロジーと持続可能な国づくりへと引き込まれていく本など出れば結構反響があるかな、とも思うのですが、ちょっと悪乗りでしょうか。
(「『日本再生』の指針」の反響があまりなかったと知ってから、色々考えているのですが…)
いずれにしましても自分も微力であろうが、なかろうが、まずは「空気づくり」に取り組みたいと思います。今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
横山
追伸
サングラハのHPのトップページから「ブログ」のタブをクリックしたり、トップページに出ている記事のタイトルをクリックした場合、みなさんのコメントが見られませんし、コメントもできないようです。
せっかくですので、できればサングラハのHPからこのブログに直接飛ぶようにしたほうがよいかと思います。いかがでしょう?
面白いアイデア、有り難うございます。
悪い乗りではなく、軽い乗りは必要な時代なのでしょうね。
『5分でわかる!生きているのがツマラナイ理由』というタイトルは、なかなかいいのではないでしょうか。
私としては、それに副題として「では、どうする?」というのを付けたいですね。
実際に書く・書けるかどうかはわかりませんが。
ともかく、いろいろ工夫を凝らしていきましょう。
前回のお返事が中途半端になりました。
変わる時には雪崩のように変わることのできるというのが日本人の国民性だ、と梅原猛さんが言っておられますが、当たっていると思います。
したがって、今はちっとも変わらないように見えても、その時が来たらーー空気が変われば、雪崩をうって変ることができる、と期待していいのではないでしょうか。
その時まで、根気強く、空気醸成に励みましょう。
返事が遅れてしまい申し訳ございませんでした。
はい。なんとか元気で暮らしています。
>次のステップとしては、民主主義の国では、支持政党がなければ自分で作ればいいのだ、という基本を再確認しましょう。
そうでしたね。支持政党が無ければ作れば良かったのでしたね。
道のりは険しいですが日本を持続可能な国にするには今のところそれしか方法はなさそうですね。支持できる政党誕生にむけて可能なかぎり準備を進めていこうと思います。
また空気についての記事読みました。
そして空気で動く傾向が近年強くなっているのではないかと感じました。
恵方巻きやハロウィンといったイベントはマスコミ等が取り上げたらすぐに全国に浸透して今では定着していると思います。
それなのでなんとか政治主導で経済・財政と福祉と環境のバランスのとれた、エコロジカルに持続可能な国家を創ろうといった空気をつくる事が出来れば日本は良い方向に変われるのではないかと思います。
空気を変えるにはどうすればよいのかをこれから考えていこうと思います。