
23日の講演の翌日、友人のお坊さんとその知人の方とに案内していただいて、初めて出雲大社にお参りしました。
境内には、神社にふさわしい清々しい気配がありました。
大きないわゆる大社作りの本殿には、「雄渾」という言葉がぴったりでした。
「やはり、来てよかった。一度は来ておくものだ」と思ったことです。
しかし、心痛む思いがしたのは、境内や特に神社の背後の山の松が枯れかかっていたことです。
松枯れは西の方から進んできていて、日本全国に広がっていることですが、「やっぱり、ここもか」と、日本の原点の一つともいうべき場所であるだけに、改めてある種のショックを感じました。
日本の原点の一つである出雲大社の背後を守る山が荒れてきていることは、日本全体の心の荒廃と環境の荒廃が深刻なかたちで同時進行していることの象徴のように思えてなりませんでした。
原因は、酸性雨-土壌の変化-土壌の菌類の変化-害虫の繁殖-松枯れというふうな連鎖だと推測されます。
その酸性雨は急激な近代化-工業化を進めている中国大陸から日本海を越えてやってきたもののようです。
問題は日本だけのことではありません。世界のグローバルな近代化のマイナス面だといってまちがいないでしょう。
これは、楽しい話ではないので、読者を増やすネタにはならないのですが、やはり書いておきたいと思いました。
それは、ご先祖さま予定者である私たちにとって、子孫の世代のために放っておけないことだからです。
何とかしたいですね。手はあるのですから。*

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紙に出すために、保存して編集しました。
8ポイントの小さな字でA4、80枚ほどもありました。
その量に驚きです。
姉は、「岡野先生は情熱があるから」と。
とりあえず、最近の20枚ほどは読みました。
内容の割に、文章がやさしく、すいすい読めました。
文章の量も情熱なら、
表現のやさしさも情熱だなっと思いました。
その情熱が、どこから得られるのか。
私にも、そんな情熱が得られる時が来るのか。
考えさせられました。
雄渾ですか・・・はじめて聴く熟語でした。
本当に日本古来の神様がいそうな雰囲気かもし出してますね。
松枯れは、そういう原因があったのですね。
松は、「神が宿る木」だと聞いたことがあります。
なんか神々しい感じがして私も好きです。
わが寺の境内にも松がありますが、老松は枯れてしまいました・・・。
手はある・・・※印が目立たなくてウッカリ見過ごすところでした。
ゆっくり読んでみます。
全部読む気になってくださって、有難うございます。ぜひ、全部読んだ感想も聞かせてください。
私の情熱の源泉は、人生で与えられる時間は有限だから、できるだけ内容を充実させて、よく生きたいという願望にあると思います。
もっと、ポップに表現すれば、熱く生きなきゃ損だ、いつかは終わる人生なんだから、といったところでしょうか。
松はけっして派手な感じの木ではないのですが、やはり日本らしい、いい木ですね。
典型的には春日大社の一の鳥居のところにあった松には、春日明神がやってきて舞いを舞った、それが能の始まりである、という伝承があります。
その松も枯れ、春日大社や興福寺あたりの松枯れも懸念されているそうです。
何とか一日も早く、世界全体を自然成長型文明へと方向転換をさせたいですね。
コメント有難うございます。
なるほど、そういうメカニズムだったのですか。
ぜひ、樹木の救済を続けてください。非常に期待しています。
日本の美しい樹木を守りたいですね。