大乗の菩薩とは何か 5

2015年04月23日 | 仏教・宗教

 菩薩の誓願は、特定の人や特定の生き物に限定されるものではなく、一切衆生=すべての生きとし生けるものに関わるもので、無差別平等です。

 第十六願は六道=六つの生存形態、第十七願は四生=生命の四つの種類の差別をなくすことが語られています。

 第十七願と第十九願では、一切衆生に5つの神通力=常識を超えた潜在能力と、光明=光り輝く人生の希望を与えることが誓願されています。

 面白いのは第十八願で、喜びを食べることで不快な便通のないようにしようと言われているところです。

 確かに、ストレスのない、爽やかな生活をしていると、便秘からも下痢からも解放されるでしょう。

 こうした誓願は、古代インド的にやや誇張されていたり、神話的であったりしますが、意味を読み取っていくと、私たちも及ばずながら、そうありたい、そうしたい、と思うことばかりではないでしょうか。

 明後日、東京集中講座で、これらの誓願についてより詳しい講義をしていきます。まだ、少しだけ席の残りがありますので、読者の中で、これからでも思い立って参加されたい方は、お申し込みいただけます。



 〔第十六願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生に六つの生存形態の違いがあることを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生には六つの生存形態の名称、すなわちこれは地獄、これは畜生、これは餓鬼、是は神(阿修羅)、是は天、これは人ということがなく、一切の衆生がみな同一のカルマで四念処から八正道までのことを修行させようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、速やかに一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生に六道の別異有ることを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し、我れ佛と作る時、我が國土の衆生をして六道の名、是れ地獄、是れ畜生、是れ餓鬼、是れ神、是れ天、是れ人なりといふこと無く、一切衆生皆同一業をもて、四念處乃至八聖道分を修せしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、疾に一切種智に近づく。

 〔第十七願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生に四つの生まれの類別、すなわち卵から生まれるもの、母の胎から生まれるもの、湿気からうまれるもの、突然生まれるものがあるのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生には三つの生まれはなく等しく一つの突然生まれるものにしようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生に四生、卵生・胎生・濕生・化生有るを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し、我れ佛と作る時我が國土の衆生をして三種の生無く等しく一化生ならしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、一切種智に近づく。

 〔第十八願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生に五つの神通力がないことを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生には一切みな五つの神通力を得させようと。そうすることで、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生に五神通無きを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し、我れ佛と作る時、我が國土の衆生をして一切皆五通を得しめんと。乃至疾に一切種智に近づく。

 〔第十九願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生に大小便の不快感があるのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私が仏になった時には、私の国土の衆生にはみな喜びを食として便を排泄する不快感のないようにしようと。そうすることで、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生に大小便の患有るを見て、當に是の願を作すべし。 我れ佛と作る時、我が國土中の衆生をして皆歡喜を以て食と爲し便利の患有ること無からしめんと。乃至一切種智に近づく。

 〔第二十願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生に光明がないのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私が仏になった時には、私の国土の衆生にはみな光明があるようにしようと。そうすることで、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生に光明有ること無きを見て、當に是の願を作すべし。我れ佛と作る時、我が國土中の衆生皆光明有らしめんと。乃至一切種智に近づく。


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