大乗の菩薩とは何か 4

2015年04月22日 | 仏教・宗教

 
 『摩訶般若波羅蜜経』の「菩薩の30の誓願」の第四回目です。

 これとほぼ同じ内容を、『大般若経』で読んだ時、非常に驚きと感銘を感じたのは、特に以下のあたりでした。

 第十二願で、大乗の菩薩は徹底的に身分の差別を否定するものだと語られています。

 これは、強固な身分社会であった古代インドで、激越と言ってもおかしくないくらいの徹底した主張です。

 それどころか第十三願では、いわば社会階層の上・中・下があることも断固なくすべきだと主張されています。

 第十四願では、身体の差異もなくすべきだと言われています。

 そして驚異的と言ってもいいくらいだと感じたのは、第十五願です。君主制・王政が否定されているのです。

 ただし、法によって衆生を導くリーダーは例外とされていますが。

 これらを要するに、大乗の菩薩の創り出すべき国土は、徹底的な平等社会でなければならないということです。

 それは、大乗仏教―『摩訶般若波羅蜜経』さらには『大般若経』を精神的遺産としてきた日本国の本来目指すべき国のかたちは、格差を容認するような社会ではありえない。徹底的な平等社会でなければならない、ということでもあります。

 非常に努力した人が報われて上流になり、それにつぐ努力をした人が中流になり、努力をしなかった・できなかった人は下層になっても、それは当然だ、と言うのは、本当の「保守」での言葉はない、と歴史的事実に基づいて、私は主張したいと思っています。

 聖徳太子『十七条憲法』からも、聖武天皇が国分寺すべてに『大般若経』を揃えさせたことからも、あるいは『華厳経』にもはっきりと現われている菩薩思想からも、日本の真の保守派が徹底的に保守すべきなのは、平等社会という理想であり、その理想の実現への努力だと言うほかないのではないでしょうか。



 〔第十二願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、四種類の身分の衆生、すなわちクシャトリア・バラモン・ヴァイシャ・シュードラ〔という差別〕を見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生には四つの身分という名称さえなくしてしまおうと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、この上ない覚りに近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、四姓の衆生、刹帝利・婆羅門・毘舍・首陀見羅を見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し。我れ佛と作る時、我が國土の衆生をして四姓の名無からしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、阿耨多羅三藐三菩提に近づく。

 〔第十三願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生に下・中・上、下・中・上の家柄があるのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生にはこうした優劣をなくしてしまおうと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生に下・中・上、下・中・上家有るを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し、我れ佛と作る時、我が國土の衆生をして是の如きの優劣無からしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して。能く六波羅蜜を具足し、一切種智に近づく。

 〔第十四願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生が種々に異なった身体であるのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生には種々に異なった身体であることがなく、一切の衆生がみな端正で清潔で美しいという〔状態を〕実現させようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生の種種別異色なるを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し、我れ佛と作る時、我が國土の衆生をして種種別異色なること無からしめ、一切衆生皆端正・淨潔・妙色成就せしんめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して。能く六波羅蜜を具足し、一切種智に近づく。

 〔第十五願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生に君主があるのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生には君主という名称もなく、さらにはその形や像もないようにしよう、〔ただし〕仏法の王は除くと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生に主有るを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し、我れ佛と作る時、我が國土の衆生をして主の名も有ること無く、乃至其の形像も無からしめん、佛法王を除くと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、一切種智に近づく。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大乗の菩薩とは何か 3 | トップ | 大乗の菩薩とは何か 5 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

仏教・宗教」カテゴリの最新記事