先日久しぶりに、前に読んだことのあるブッダの伝記に手が伸びました。
読んでいたら次のようなエピソードの個所にぶつかって、前から知ってはいたのですが、改めて深い感動を覚えました(訳は私訳です)。シェアさせていただきます。
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ある夕方、ブッダは祇園精舎の門の外で、弟子のチューラパンタカがひとりしょんぼりと涙を流しているのをご覧になり、優しく声をかけられました。
「チューラパンタカよ、どうして泣いているのか」。
「世尊よ、私は生まれつき頭が悪くて、修行3年になるのにまだ教えの言葉ひとつ暗記できなくて、兄から『おまえのような頭の悪いやつは、道を得ることなんかできはしない。修行をやめて、ここを去って家に帰れ』としかられたのですが、ここを去るのが悲しくて泣いていました」。
ブッダは、「泣かなくてもよい」と彼の手を取り、部屋に連れて入って一本のホウキを渡し、「いつもこのホウキで精舎の庭を掃除し、『塵を去り垢を除こう』と唱えなさい」と教えられました。
チューラパンタカは、それから毎日、教えの一句をただひたすら唱えていましたが、ある日、「塵とは心の塵、垢とは心の垢、修行とは心の塵と垢を掃除するということだ」と気づいて、仏陀に申し上げました。
「世尊よ、私は今後、智慧のホウキで心の塵を掃除します」と。
ブッダは、「チューラパンタカよ、おまえは気づきを得た。よいかな」とお喜びになった、ということです。
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読んでいてシーンがまるで目に見えるような気がして、ブッダの智慧に裏づけられた温かな思いやりに心打たれました。
こういう師に出会った弟子は、なんと幸せなのでしょう。
私も教師のはしくれですが、一見わかりの悪い学生も時間を十分かければ気づきを得る可能性があることを見抜く智慧、信じて待つ心、引き出す巧みな手立て(方便)をどのくらい持っているか、少なくとも持とうと努力しているか、深く考えさせられました。
それ以前に、そもそも自分が、どのくらいいつも「塵を去り垢を除こう」と心がけているか、なまじいくらかの知識と知的な理解力があるために、わかったつもりになって、単純に真心を込めた行を実践することを忘れがちか、反省したことです。
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いつも読んでいただいて有難うございます。
ウスイツカサ