般若経典のエッセンスを語る13

2020年10月09日 | 仏教・宗教

 次に、「無所得故畢竟空」、つまり「実体として把握できないので、これは究極的には空というべきだ」という。

 すなわち空とはまさに実体ではない・非実体という意味である。

 実体なら掴むことができる。しかし実体ではないから掴むことができない。掴むことができないということは、逆に言えばそれは実体ではない・空ということである。

 そして、「畢竟空故是名般若波羅蜜」、すなわち「究極は空なので、そのことをあえて言葉で表現すれば『分別を超えた智慧』となる」という。

 すべてを分離した実体として存在すると捉える知恵を「分別知(ふんべつち)」、サンスクリットでは「ヴィカルパ」または「ヴィジュニャーナ」といい、それに対して、分別知を超えた智慧を「プラジュニャー」、パーリ語では「パンニャー」という。漢訳ではたいていサンスクリット語の音が写される(音訳)のだが、なぜかこの場合は「パンニャー」というパーリ語の音から「般若」と音訳されたらしい。

 いずれにせよ、般若とは「分別・分離的な認識を超えた智慧」という意味である。空を覚るのは分別を超えた智慧である、般若波羅蜜によって覚られるのだ、と。

 以上のように、この唱文には非常に深い般若経典の要点が述べられているのだが、残念なことにふつう般若会などで解説はされていないようだ。

 


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