大乗の菩薩とは何か 3

2015年04月21日 | 仏教・宗教
 
 『摩訶般若波羅蜜経』の「菩薩の30の誓願」をご紹介していますが、今回は、第七願から第十一願までです。

 第七願では、覚れる人と覚れない人の違いを無くすこと、第八願では、地獄・餓鬼・畜生という悪い生存形態をまったく無くすこと、第十一願では、衆生の異常な執着を無くすことが菩薩の到達目標であることが語られていますが、これはいかにも菩薩らしい誓願です。

 しかし、常識的な菩薩のイメージと異なっていて、非常に興味深いのは、第九願と第十願です。

 第九願は、いわば社会全体をバリアフリーにしたいという誓願、第十願は、いわばレアメタル問題を解決したいという誓願と読むことができます。

 これも初めて読んだ時、とても面白いと思ったのですが、さらにある種驚きだったのは、第十二願などでした。

 これについては、また明日、ご紹介したいと思っています。


 〔第七願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生が三種類、すなわち一には必ず覚りを開くことになっている人々、二には必ず無明のままの人々、三にはどちらとも決まっていない人々という状態にとどまっているのと見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になりえた時には、私の国土の衆生には無明のままの人々などなくさらにそういう名称さえないようにしようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生の三聚、一には必正聚、二には必邪聚、三には不定聚に住するを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し、我れ佛を得る時、我が國土の衆生をして邪聚無く乃至其の名をも無からしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、疾に一切種智に近づく。

 〔第八願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、地獄の中にいる衆生、畜生・餓鬼の中にいる衆生を見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の中では〔地獄・畜生・餓鬼はもちろん〕三つの悪い生存状態という名称さえないようにしようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、地獄中の衆生、畜生・餓鬼中の衆生を見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し。我れ佛を得る時、我が國土中乃至三惡道の名も無からしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、一切種智に近づく。

 〔第九願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、この大地の切り株、イバラ、山岳、溝、汚れた場所などを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の中にこうした惡い地域がなく、手のひらのように平にしようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、般若波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、是の大地の株杌・荊棘・山陵・溝坑・穢惡の處を見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し。我れ佛と作る時、我が國土に是の如きの惡地無く、平かなること掌の如ごとくならしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、一切種智に近づく。

 〔第十願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、この大地が土だけで金銀や貴重な宝石などがないのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土には黄金の砂で地面を敷き詰めさせようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、一切の相を知る智慧に近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、是の大地の純土にして金銀・珍寶有ること無きを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し。我れ佛と作る時、我が國土をして黄金沙を以て地に布しかしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して、能く六波羅蜜を具足し、一切種智に近づく。

 〔第十一願〕

 また次にスブーティよ、菩薩摩訶薩が六波羅蜜を実践する時、衆生が異常に執着するところがあるのを見たならば、まさにこのような願を立てるべきである。私はこの時・所で六波羅蜜を実行し、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私が仏になった時には、私の国土の衆生を異常な執着がないようにしようと。スブーティよ、菩薩摩訶薩は、こうした行をなすことで、六波羅蜜を完成し、この上ない覚りに近づくことができるのである。

 復次に須菩提、菩薩摩訶薩六波羅蜜を行ずる時、衆生の戀著する所有るを見て、當に是の願を作すべし。我れ爾所の時に隨ひ六波羅蜜を行じ、佛國土を淨め衆生を成就し。我れ佛と作る時我が國土の衆生をして戀著する所無からしめんと。須菩提、菩薩摩訶薩是の如き行を作して。能く六波羅蜜を具足し、阿耨多羅三藐三菩提に近づく。


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