2013/11/30撮影
広電で広島市内へ
平和公園近くのビジネスホテルにチェックインしてさっそく散策に
1945年8月6日午前8時15分17秒(日本時間)、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が、
建物の西隣に位置する相生橋を投下目標として原子爆弾を投下した。
投下43秒後、爆弾は建物の東150メートル・上空約600メートルの地点
(現 島外科内科付近)で炸裂しました。 (Wikipediaより)
対岸から撮影
広島県産業奨励館て建物だったんですよね
借景の隣のビルがちょっと残念
原爆の子の像 別称「千羽鶴の塔」
2歳のときに被爆し12歳で白血病で亡くなった佐々木禎子さんの死をきっかけに
原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、
全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」を建立したそうです。
塔の下には、鶴がつるしてあって鳴らすことができます。
平和資料館、原爆慰霊碑、平和の灯、川を挟んで原爆ドームと同一軸線上にあるんですよ
原爆慰霊碑越しの原爆ドーム
広島平和記念資料館
資料館の中は、いろんな国の方が多く訪れていました。
日本は世界で唯一、戦争における原子爆弾の直接被害を受けた国
原爆が落とされたらどんな被害が残るのかを知りえる場所でもあります
2年前に長崎も訪れ長崎原爆資料館にも行きましたが・・・
二度と使われないことを祈るしかないですね
原爆が投下された時間で止まっています
当時の写真
原爆ドームの模型
弁当箱
弁当箱の持ち主は、弁当箱をお腹の下に抱きかかえるような姿で亡くなっていたそうです。
当時、中学校1年生の男の子でした
三輪車と鉄かぶと
この自転車の持ち主は、原爆が落とされた朝、自宅前で三輪車に乗って遊んでいて
被爆、その日の夜亡くなったそうです。 3歳11か月でした。
他にも衣類など持ち主がどの状況でどのように亡くなったか記されていました。
広島に行かれたら是非、訪れてほしい所です。