一般的な占いの使い方は、自分を知るということもあり
ますが気休め程度にしか考えていません。
良いことは信じて、悪い事は信じないという人もいらっしゃ
います。
つまり占いを確認のためにしか使っていない訳です。
自分のミッションの遂行のためのツールだという考えが存在
していません。
占って終わりになる訳です。
当たる占いと当たらない占いの関係は何を基準に考えるかで
変わってきます。
当たら . . . 本文を読む
もしも占いが当たっていないとしたらあなた本来の
心の働きが歪められてしまっている可能性があります。
設計図では強いと出ているのに実際には弱いと感じて
いる場合もあるでしょう。
本当は強いのにあなたの自己評価が低すぎる為に弱いと
思っているだけかもしれません。
その反対に本当は弱いのに無理をして強いと装って強く
見せているだけかもしれません。
表面的には占いが当たっていなくても本当の設計図は . . . 本文を読む
こころの設計図は生まれたときの天体に影響されて
いるようです。
占星術には、太陽を中心に考えるものや月を中心に
考えるものあるいは惑星を中心に考えるものなどが
あります。
当たる占いもあれば当たらない占いもあるでしょう。
しかし、当たらない占いがあなたのミッションの遂行の
仕方に問題があるとしたら・・・。
つまり、本来の予定通りに進んでいれば設計図通りの
結果が出るとしたら・・・。
つま . . . 本文を読む
身体に設計図があるように心にも設計図が存在して
いてもおかしくありません。
感情の持つ好きとか嫌いという感覚はある意味こころの
設計図を表しているといっても良いでしょう。
何が好きで何が嫌いかが分かれば効率の良い仕事が出来る
でしょう。
こころの設計図をのぞいてみると身体の設計図と同じ
ように人それぞれの特質が存在します。
設計図はある意味、仕様といっても良いでしょう。
仕様通りの使い方 . . . 本文を読む
もし行先も分からないで運転手の気まぐれドライブに
付き合わされていたとするときっとトラブルが増える
ことになります。
気まぐれ運転手のバスに乗っているのはバスジャック
されているのと同じです。
バスには行先や乗車している団体名がが表示されています。
つまり行先や組織の塊で乗り合いバスに乗っているような
ものなのです。
最初から最後まで同乗する人もいればある区間のみ同乗
する人もいるでしょう . . . 本文を読む
痛みは身体の使い方が間違っていると当然の事ですが
悲鳴を上げてきます。
脳の思うままに言うままに肉体を酷使すけば身体は脳に
反発してストライキを起こすのは当然です。
身体が脳やこころに従わない理由の一つとして行先が分から
ないのにGOとしか言わないと身体は不平不満を言い出します。
行先の分からないバスにのせられるとしばらくは良いでしょうが
時間や距離が長くなると段々と不安になる物です。
出 . . . 本文を読む
ゴールを決めないで手段を決めようとする人は目的地が
決まると全く意味をなさなくなってしまいます。
最新鋭の乗り物が出来たから一生懸命に検討して候補を
絞り込んだら目的地には駅がなかったりするわけです。
何よりもまずゴールというか目標が必要です。
身体に症状がある人に目標を聞くとこの痛みを無くしたいと
いうのがゴールになりがちです。
痛みが無くなったらどうしたいのかというより、痛みが
無くな . . . 本文を読む
ナビといえば通常自動車に搭載されているもので道路の
情報や交通情報が表示されます。
車のナビは車でいくことを前提でつくられています。
飛行機のパイロットに車のナビシステムが搭載されていても
何の役にも立ちません。
車には車の飛行機には飛行機の船には船のナビシステムが
ある訳です。
それではどの乗り物を使うかどうかの判断はどうやって
決めているのでしょうか?
現在地と目的地を見てどんな乗り . . . 本文を読む
思考はどうしようかとか色々考えている段階である
意味何も方向性を持っていない状態です。
つまり考えている段階であって何も決まっていない
状態が思考です。
思考は大切ですが考えてから行動すると思われていますが
実は思考は目標のための手段や方法を考えているわけです。
先に目的があり思考はその目的を達成する為の取捨選択と
いう事になる訳です。
しかし、多くの人は考えてからゴールを決めようとして
. . . 本文を読む
何度も何度もトーナメントを繰り返し最強の判断を
しようとしますが実際はトーナメントの組み合わせに
よって結果が違っている場合もあるでしょう。
AとBと比較してどちらかを選択したとしてもドンドン
後悔が頭をもたげてきます。
そして、トーナメントで比較検討した最強の物でも
心の隅に本当にこれでいいのという疑問が出てきます。
そんな時に効力を発揮するのが「勘」という知識の
対極にある存在です。
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