傷みや症状がすぐに快方に向かうか慢性化するかは
信念によって変わってきます。
映画「スーパーマン」のクリストファー・リーブは、
落馬によって脊髄を損傷し、半身不随になりましたが
脊髄の再生はないはずなのに少し動かせるように
なっていたそうです。
奇跡は信じた人にしか起こりませんが、日常の痛み
や症状は結構簡単に作り出すことができます。
典型的な例が想像妊娠です。
想像妊娠はお腹に子供がいな . . . 本文を読む
腰が痛いのに腰には触らず腰痛が治ったとしたら
どうでしょうか?
6~7割位の人は喜んでくれますが2割くらいの
人は納得してくれません。
治り方に納得できない為で人それぞれの持っている
認識や知識に大きく左右されるわけです。
不思議がってはくれますが納得はしてくれないわけ
です。
自分の痛みや症状はそんなに簡単に治る訳がないと
いう信念が強いためにやがてその信念に応じた症状
になってくるわけ . . . 本文を読む
原因療法だと標榜している治療院の中にも原因療法の
意味を理解していないところが多いのも事実です。
例えば、腰痛は骨盤のズレが原因というものがあります。
本当にそうだったとしても骨格系が原因なのか筋肉系が
原因なのか内臓系が原因なのかストレス系なのかという
問題があります。
つまり、多くの場合骨格系や筋肉系のように特定の系の
中に原因を探そうとするほけです。
実際はそれぞれの系にまたがって原 . . . 本文を読む
西洋医学はある意味結果に対しての治療だからです。
肥満は、結果ですがその結果の治療は脂肪吸引になって
しまうわけです。
喫煙が原因であっても対処方法は肺に対する処置に
なる訳です。
禁煙外来などがありますが禁煙させればほかのものに
依存するようになるかもしれませんが禁煙が成功すれば
治ったことになる訳です。
しかし実際は喫煙が飲酒に変わったり暴飲に変わったり
する可能性もある訳です。
大 . . . 本文を読む
傷みには急性期の痛みと慢性期の痛みが存在していますが
問題になるのは慢性期の痛みです。
西洋医学は急性期の痛みや症状に対する医学でありある意味
生死にかかわるような状態に対して効果的なものです。
半面東洋医学は慢性病に対しての治療をしてくれます。
従って東洋医学的には即効というものはあまり期待でき
ません。
鍼などを使うことにより即効性が現れる場合もありますが
それはあくまで緊急的なもので . . . 本文を読む
選択肢を増やせば増やすほど良いと思うかもしれませんが
選択肢が多すぎると選択をすることができません。
人間は、おおむね7つ以上の選択はできない様になって
いるわけです。
従って選択肢が多すぎても困ってしまいます。
そこで必要になるのが感情ということになる訳です。
損か得かという選択ができない時は好きか嫌いかにゆだね
ることです。
好きか嫌いかの選択は、比較的適切な選択ができる
ようです。 . . . 本文を読む
自由とは選択の自由ということであり、ルールを守る
自由もあればルールを守らないという自由もある訳
です。
自由とは選択することの自由だということです。
そこで問題がありますがそれは選択するための知識や
情報があるのかということです。
選択の自由はあったとしても知識や情報がなければ
選択もできないことになってしまいます。
知らなければ見えないわけです。
なぜ学校に行くのかなぜ勉強するのか、 . . . 本文を読む
みんながみんな自由に好き勝手をしているとどうなるの
でしょうか?
自由同士がぶつかり合って自由がなくなってくることに
なります。
そこで折り合いをつけるのがルールということになります。
ある意味自由は規則やルールを守る前提で与えられている
ものだということになります。
一般庶民は基本自由ですが法律を犯すと逮捕され途端に
その自由は奪われることになります。
ルールを守るということが前提にあ . . . 本文を読む
儒学の「小学」は家を建てる時、地ならしをして材木を
準備することであり、「大学」はその場所に材木で家を
作ることになると比喩しており、「小学」が人間教育の
土台になることを強調しています。
つまり、学問の基本は人間教育の土台を作ることにある
訳です。
しかし現代の学校教育はそのあり方については問われる
ことはありません。
やり方は教えますがあり方は考えることはほとんどあり
ません。
その多 . . . 本文を読む
日本では小学校や中学校は義務教育になっていますから
誰も疑うことはありません。
しかし、学校教育は当初軍隊の教育システムが始まり
だったわけです。
日本全国の都道府県がそれぞれバラバラに教育していれば
方言があるように指示や命令がみんなに伝わらないわけです。
そこで学習の統一化が行われることになったわけです。
上官の命令がすべての部下に同じように伝わるように
しなければならなかったわけです . . . 本文を読む