朝鮮の歴史書、日本で言う「古事記」や「日本書紀」に相当するモノが「三国史記」である。
日本の歴史書は大化の改新(645年→646年に今の教科書はなっている)により蘇我氏と共にそれまでの歴史書を納めた蔵まで消失するが、「古事記」は天武天皇の命で稗田阿礼の口伝を太安万侶が8世紀(712年)に編纂したモノである。舎人親王により「日本書紀」も少し遅れるが同時期、奈良時代(720年)に編纂。
一方、「三国史記」は12世紀(1145年)である。中国では宋の時代である。先進国?と自負する朝鮮がなぜ国史編纂が日本より遅いのか大きな疑問である。
平安時代中期(9世紀末から10世紀初頭)、ここに白頭山の噴火と言う自然科学的な事実がある。白頭山の噴火による火山灰の被害は大きく、日本でも日照不足による飢饉が続いた。地質年表によると平安時代(10世紀)日本は小氷河期だったとの記載を見た記憶がある。平安期に魑魅魍魎の概念(飢えて餓鬼と化した人々)が確立するのも、武士が台頭してくる原因の一つがこの飢饉による食料自給率の悪化にある。
これは、この時期朝鮮半島に人は住めなかったと言うことである。火山灰に覆われた朝鮮半島では日照時間がな く作物が採れない。高麗はここで途絶えてしまったと言うことである。
また、白人の日本オタクが日本人と韓国人(朝鮮人)とを見分けるために、日本の平安時代の事を質問するそうだ。韓国人(朝鮮人)は先ず答えられないとのこと。百人一首が読めず、「ひゃくにん・・・・・・・・」となるそうだ。その他にも平安時代のことを質問すると答えられないそうだ。もちろん海外の歴史であるから知らなくても問題ないが、特にこの時代だけ知らないとのことだ。
韓国では10世紀前後の歴史を教えていないようだ。日本の遣唐使が9世紀末まで盛んに唐と往来している。しかし、朝鮮半島ルートが少ない(平安期は南九州から上海・深浅方面が圧倒的に多い)のは魏志倭人伝と大きく異なる。奈良時代に入る前の大津朝の頃、白村江で百済支援の日本と新羅・唐の連合軍と大きな戦があり、日本・百済が負けた。
短い奈良時代後期、遣唐使の一人阿倍仲麻呂は玄宗皇帝の下で人臣を極め大都督にまでなっている。周辺国が知らないのは不思議である。奈良時代に唐で高名な鑑真が日本に憧れ何度も日本行きに失敗したがやっと日本に行くことができたことなど唐では有名であった。894年の遣唐使を廃止するまで、5~600人10年おきに派遣されていた。
片や当時の朝鮮半島には何もない。それ程噴火の被害が大きかった。作物が採れないのだから。1人も居ないことはないであろうが、国家体制はなかったと思われる。高麗王朝は有名無実化していた。故に史書がない。中国でも五代十国の時代である。戦乱の最中に関係ない他国の実状など関心がなかった。
本当は現在の朝鮮人とは何人なのであろうか?渤海からの移民か?現在のロシア東岸部にいたワニ人か?
元寇の時、捕虜待遇で南宋人は助け朝鮮半島人の捕虜は首を跳ねた鎌倉武士。当時の日本人は現在の日本人より国際情勢に明るかったのではないか?
そして現在、白頭山に噴火の兆候が見えるそうだ、火山学者によっては富士山より大規模噴火の可能性が高いと注意喚起している方もいる。
その場合、如何に韓国からの避難民の流入を防止するか?これも準備しておく必要がある。北朝鮮の南侵だけでなく、自然災害による韓国人の入国をどこまで認めるか?認めない場合のリスクと認めた場合のリスクを検討しておくべきである。
私見だが、認めた場合のリスクの方が高くつくと思われる。「韓国するな」が「不正行為するな」と世界中に広まった現在、一時的な非難はあっても後々正かったと世界中が納得するであろう。ババを引く国は違うであろうが、そのババは宗主国たる中国が引くであろう。