イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

ナショナルトラストの広大な邸宅、スピーク・ホール3回目、敷地内には見るべきところがまだまだ!例;体力消耗迷路

2018年07月06日 09時00分00秒 | イングランド北部
ナショナルトラストが所有、管理する史跡庭園、邸宅スピーク・ホール Speke Hall 、続きです。


庭園の周りの、見どころ写真をごちゃごちゃお目にかけます。


●ビクトリア時代特有の高いレンガ塀で囲われたキッチン・ガーデン kitchen garden (菜園)のルバーブと...


レタス。


ナショナルトラストが管理する邸宅の敷地内にはたいてい、再現された菜園があります。
このスピーク・ホールの菜園はどうだかわかりませんが、その時代に存在した品種の野菜のみ、育てているところが多いのです。
品種名を表示していなかったので、ここではそれほどのこだわりはないのかもしれません。

あまりぱっとしないコテージ・ガーデン cotage garden (イングリッシュガーデン)風の花壇も、一列だけ添え物風にディスプレイされていました。


実はいかにも暑さにうだっている、というようすで勝手に生えているみたいなところが本物のコテージ・ガーデン風なのです。


●スピーク・ホールの広大な敷地の心臓部、ものすごく大きなステーブルス stables(厩舎)


...上の写真の奥にごく一部が見えています。

広大な地所と17の農園と森林、邸宅の最後の所有者、ミス・ワットが自らデザインして建てた厩舎だそうです。

ギフトショップ、トイレ、レストラン、インフォメーション・センターなどがあります。

天井の高い内部。レストランになっている部分です。



●私が注文した、ピー&ミント・スープ pea & mint soup 。


名前のとおり、裏ごししたグリーンピースのクリームスープにミントの葉を煮だした味がつけてあります。

イギリスの夏らしいスープ。


●この日はしまっていた、小さなティールーム。


邸宅(スピーク・ホール、一番上の写真)と同じ、チューダー時代の厩舎だそうです。壁に囲われた石畳の小さな中庭があって、開いていたらぜひ入りたかった興味深い建物です。


●なぜか!「個人宅」と明記された、ビクトリア時代のコテージが邸宅に向かう周遊路の途中、上の写真のティールムの手前にあります。


なんなんだろう!?
ナショナルトラストが所有、管理するクォリー・バンク・ミルの広大な敷地内にもポツンポツンと個人の持ち家が点在していて、「個人宅、立ち入り禁止」の控えめな札が立っていました。

ナショナルトラストがこの地所を譲り受ける過程で、「この建物だけは他に所有者がいるからお譲りできません」などという契約があったのかもしれません。
譲渡が完了したのは1942年です。

一般公開されているナショナルトラストの人気史跡アトラクションのど真ん中に住んでいて、「家の前をものすごいたくさんの観光客が通るのが煩わしい」とか、「人の家の写真を勝手に撮りまくらないでほしい」などとは言えませんね。(いえ、どうなんでしょうか。写真を撮りましたが)

どんな人が住んでるんだろう。

●メイズ maze(迷路庭園)


...の外側。
常緑樹コニファーがここまで育つには10年ぐらいかかるでしょうか。
チューダー様式あるいはヨーロッパのルネッサンス風の邸宅のある大きな公園には、よくこのメイズが設置してあります。
16~17世紀ごろはやった庭園のアクセサリーなんだそうですが、ここ20年ぐらいの間に、入場者を楽しませるために作られたものが多いようです。

枯れたり育ちすぎたりした個々の木は取り換え続けているものの、17世紀ごろのメイズがそのまま保存されている場所もイギリスにはいくつかあるようです。

ついでです。モグラ塚。


入り口からではなく地下からメイズに侵入したようです、モグラ!

地元の小学校が7校、社会科見学か遠足かスピーク・ホールを訪れていました。

前回も言いましたが、気温30度を超える酷暑の平日でした!

そのうちの一校、、メイズ出口付近で、メイズ探検を終えた子供たちを集めて若い先生が人数の確認をしていました。一学年たったの50人足らずです。
暑さで具合の悪くなった児童もいたようです。
たいへん、数人足りない。

メイズが上から見渡せる「プラットフォーム」が中にいくつかあるのです。
昼食後、私もメイズ探検に挑戦しようと、しぶる息子を引っ張ってきました。まず上から視察。



さっきの学校の遅れをとった子供たちがまだメイズから出ることができずに行ったり来たりしています。

年配の先生が上からオロオロ指図していました。



あっちは試したの、こっちは?離れちゃいけません、かたまって行動しなさい。インチキしていいからそこのあいてるところをくぐっちゃいなさい(あいてるとこなんてありませーん)暑いから早く出てらっしゃい、いえダメ!急がなくていいから落ち着いて、疲れたら休むのよ!お水、持ってるわね!....

先生が落ち着いた方がよさそうでした。
メイズに挑戦する気は一気に失せました。

気温が30度カンカン照りのなか、やる気が全くない裏起毛の暑苦しいフード付きトレーナーを着た息子と複雑なメイズのなかでうろうろ迷って体力を消耗するのはあまり賢明ではなさそうです。

取りやめ。涼しくなってから機会がもしあれば挑戦したいです。

残った子供たちがメイズから出られたかどうか確かめませんでした。若い先生がプラットフォームに上がってきて、年配のオロオロ先生と交代しました。

となりはリバプール国際空港の滑走路の端です。


その向こうの、アイルランド海にそそぐ大河、マージ―河 River Mersey (上の写真に写っています)に出る遊歩道を歩く!と夫が言い出したので、歩きました。

以下、明日。

スピーク・ホールは建て増しを繰り返し、小さな中庭を囲む「ロ」の字型の配置になっています。


私たちが邸内を見学中、3校ほど中庭を通り抜ける学校の見学グループを見かけました。


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ナショナルトラストの広大な邸宅、スピーク・ホールその2、召使いの生活と広大な草地を横切る危険な段差

2018年07月04日 09時00分00秒 | イングランド北部
ナショナルトラストが所有、管理する史跡庭園、邸宅スピーク・ホール Speke Hall 、続きです。


リバプール郊外、スピーク Speke という町にあります。
スピーク Speke という町(敷地のまわり一帯)はすべてこの邸宅のもとの持ち主の地所だったそうです。

ナショナルトラストが管理している敷地だけでもとても一日では回れないほどのものすごい広さなのですが!かつては町全体が個人の所有地だったのです。


ガイドのピーターの説明を聞きながら、邸内の見どころだけをぐるっとまわる「ビクトリアン・ツアー」。
昨日の記事のリンクです☟

スピーク・ホール、ナショナルトラスト所有の大庭園、貴重なチューダー建築を寄贈した篤志家の先祖の蓄財秘話!

貴重なチューダー様式の建築ですが、ナショナルトラストに寄贈された当時(1942年)の状態が保存修復されています。

1921年に最後の持ち主、ミス・ワットが21年後にナショナルトラストに寄贈するように遺書を残して亡くなってから、彼女が子供だった頃からの内装が委任された財団によって完璧に保存されてきたのです。

寄贈後は現在の所有管理者、ナショナルトラストが保護修復を引き継いでいます。

昨日の続きです。


一階裏側の、サーバント・クォーター(使用人たちの区域)を見て回ります。

サーバント・ベル(召使いを呼ぶベル)。部屋数がものすごく多くて、いまさらながら驚く!


主人一家のメンバーが各室にある呼びひもをひくと、壁を伝った針金が引っ張られベルが鳴ります。
階下の使用人はどの部屋に行けばいいのか これを見ればすぐわかるようになっています。

目的の部屋で予想される仕事の内容によって、誰が行けばいいのかわかるはずです。たとえば、レディの寝室ならメイド・サーバント(小間使い)が応じる、など。

用事のない使用人が休憩したりサーバント・ベルでお呼びがかかるまで待機するサーバント・ホール。


ツアーでは、この部屋に関する詳しい説明はありませんでした。
サーバント・ベルはこの部屋の外の廊下にあったのです。ヘンだなあ。
ここで座ってくつろいでいると、ベルが鳴った時どの部屋に行けばいいのかすぐにわからないんじゃないでしょうか。
いちいちだれかが廊下にでてどこで呼ばれているか確認しなければいけなかったみたいですね。

それとも見なかっただけで、この部屋にもあった?
うーん、インターコムじゃないんだし針金でつながっているシステムは一本だと思うのですが。

スピーク・ホールのような一般公開している古い大邸宅はどこもサーバント・クォーターや大きな台所のディスプレイにかなり手をかけています。
中央の大きな調理テーブルの上のさわってもよい(らしい)料理の準備中のディスプレイや手に取って臭いをかいだりできる本物のハーブや香料が並べてあるなど、リアルな演出がどこも秀逸なのです。



見学者もノリノリで、本格的な時代設定の舞台でお互い演技をつけあって記念写真の撮影に余念がない...ところが多いのですが、今回一緒になったのは年配の人ばかりで、「インスタ映え」ねらいの恥ずかしい写真を撮っている人はいませんでした。




パントリー




ここで見学は終わり。


うさん臭い手品師のようななりのガイドのピーターは「最後までお付き合いいただきありがとうございました。」とシルクハットを脱いであいさつすると同時に帽子の中からぬいぐるみのうさぎを取り出しました。

自分がうさん臭い手品師に見えることを承知だったようです。

本人は「ビクトリア時代の紳士」に扮装したつもりの暑苦しいフロックコートなのですが、「戦前の執事」にしか見えません。
ぴらぴらフリルのポリエステルのシャツは1970年代の舞台芸人風。

ステッキとシルクハットが手品師に見せています。

それにしても、素晴らしいガイドでした!




連日晴天の夏日和、この日は何日目かの最高気温が摂氏30度を超えた酷暑日!

見学ツアーを終えた後、邸内を自由に散策して見逃した大部分を見て回ってもよかったのですが、家にいるとコンピューターゲームばっかりしているので無理やり連れてこられた息子の我慢が限界とみて、邸内見学は打ち切りました。

実際、窓のあいていない邸宅の見学は、かなり暑苦しいものでした。
日本の夏の暑さと違って、湿度が低くムシムシしていないので、日かげや屋内が驚くほど快適なのです。
それでも、気温の高い日に窓のあかない室内に長くいるのがちょっと苦痛になってきたのです。


裏;キッチンのあるお勝手口。


屋敷をぐるっと囲う、ボクサス・ツリーの生垣。


一番上の写真を見てください。
「絵」になるスピーク・ホールの全景を正面から撮ろうと思うと、弾丸ボコボコがジャマです!

写真を撮らなかったのが残念ですが、実は前と横の部分は、水のないもとモートmoat (お堀)で囲われているのです。
中世ごろのお屋敷のもともとはちゃんと水をためてお堀の役割を果たしていた深い溝に、今では灌木や花木を植えて景観のポイントにしている庭園スタイル、「ドライ・モート」というそうです。

正面玄関まで下に水のない短い橋を渡って行きます。

いかにも中世っぽい、橋げたの風船男。


☝下にちょこっと「ドライ・モート」庭園が見えています。






邸宅前のだだっ広い何もない原っぱをずううううううううっと下がると.....



久しぶりに見ました!ハーハ・ウォール ha-ha wall。


わかりにくいのですが、刈り込まれた原っぱがいったん切れて、1.3メートルほどの高さの下が幅の狭い道になっています。道の向こうが、はるかかなたまで続いているように見える、この刈り込まれた原っぱの続きになっているのです。

ハーハ・ウォールというのはバースのロイヤル・クレセントの時にも出てきましたが、景観をさえぎる塀や石垣、生垣のかわりに農園など公共の場所と庭園の境にかなりな段差をつけて、家畜やよその人が敷地内に入ってくるのを防ぐ仕掛けです。

(まあ、これは1.3メートル程度なので登ろうと思えば登れる高さですが)

あまりにも広いので、途中で通り道を抜いたみたいですね。

たぶん、お屋敷の窓から見下ろすと、このハーハ・ウォールで広大な草地が途切れているのが見えないんじゃないかと思うのです。はるか先まで一面につながって見えるんじゃないかと......

危ないです!
スマートフォンを見ながら、おしゃべりに夢中になって、あるいは後ずさりしながらスピーク・ホールの正面写真を撮っていたり、とにかく足元を見ないで歩いていたら、足を踏み外して絶対にけがをします!!

どこにも注意書きなし!


ところで、時々写真に出てくる息子の暑苦しいフード付きトレイナーが気になっていた方がいるかもしれません。

繰り返しますが気温30度。


本人が脱ぎたがらないので、ほっておくしかありません。

3週間ほど前、中高等学校過程を終えました。
試験が終わり次第、学校に行かなくなります。卒業式も終業式もありません。先生方や友達との別れを惜しむ機会も一切なく、終了です。

うちの息子は統一試験最終日にテストがある「ドイツ語」を受験したので、ほかのお友達より長いこと学校に行っていたようです。



明日に続きます。

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スピーク・ホール、ナショナルトラスト所有の大庭園、貴重なチューダー建築を寄贈した篤志家の先祖の蓄財秘話!

2018年07月03日 09時00分00秒 | ストックポートとその周辺
先週暑くて天気のいい平日にリバプールそばの大邸宅+広大な庭園、スピーク・ホール Speke Hall に行きました。



ナショナルトラスト所有です。私たち夫婦はごく最近、年間会員になったので、邸宅に無料で入館できました!

広大な敷地そのものは、地元の住民の憩いの公園として無料で開放されているようです。
会員以外、駐車代を徴収されます。(年間会員料のもとを少しずつとっているところです!)


1530年に建設開始、典型的なチューダー様式の建築ですが、私たちは、「ヴィクトリアン・ツアー」なるものに参加、おじいさんガイドの案内で見どころだけを回りました。

19世紀ヴィクトリア時代の生活を追うガイド・ツアー。チューダー様式の邸宅なのになぜ、ヴィクトリア時代?

なぜなら、ナショナルトラストがこの邸宅と広大な地所を最後の持ち主ミス・ワッツから譲り受けた20世紀の初めごろには、内装が、すっかりヴィクトリア時代のものに変えられていたからです。
「16世紀の建物に住む19世紀の資産家のライフスタイル再現」がテーマの歴史資産ということで公開しているんだそうです。

正面玄関上、破風。


中央、屋根ひさしの下にかなり目立つ鳥の巣があるのですが、ちょっと見にくいですね。

貴重な歴史資産、第一級保存建築にいいのか?糞が心配。
ジャックドゥというカラスの一種の巣だそうです。
...いいみたいです。ナショナルトラストの人は気にしていません。

内装だけではなく、この外に出ている梁を黒く塗るスタイルも典型的なヴィクトリア時代の好みです。
チューダー建築がたてられてから300年近く、色を塗っていない木材の素材そのままの木地色だったそうですが、最後の持ち主一家が19世紀に黒く塗りたくっちゃったのです。

国内有数の完全無欠の貴重な「土壁チューダー様式」
チューダー様式を忠実に復活させる修復をすべきではないか?というもっともな議論がナショナルトラスト内であったそうですが、結局は「最後の持ち主が住んでいた19世紀様式風アレンジのチューダー建築」として保存していくことに落ち着いたんだそうです。

ガラスもすべて、18世紀かそれ以後の修復。

以下、私の個人的な好みのスポット案内。ほぼすべて、ガイドのピーター受け売りです。



●暖炉の上の17世紀デルフト焼きタイルの、「ユトレヒト風景」画。


現在のユトレヒトでこのタイル絵が描かれた場所が特定できるそうです。

19世紀に中世風の内装にした、暗いマホガニータイル張りの部屋。青い魚の絵プリントの夫のシャツと驚くほどマッチ!写真を撮りました。


●最後の持ち主、ミス・アデライード・ワットの生涯を表現する インスタレーションアート物件が各部屋に展示されていました。


....意味不明です。(アートですから)


●19世紀の有名な工芸運動家、ウィリアム・モリスデザインがデザインした廊下の壁紙。


モリス商会で手摺りで印刷された最初のロールが使われたという貴重な物件です。モリスの初期の傑作デザイン「トレリス」。



四角いパネル内のこまぎれサイズ。1980年代に痛みの激しいものは新品と取り換えられたそうです。
1860年代のオリジナルとの違いは瞭然。

今でも同じデザインが製造販売されています。


●ビリヤード室にあるビリヤード・テーブル。


第1次世界大戦中、戦地から一時帰還した傷病兵を慰めるためミス・ワッツが軍病院に気前よく寄付したこのテーブル、80年以上行方不明になっていたんだそうです。

リバプールの教会の娯楽室で偶然発見され、製造登録番号からスピークホールのビリヤード台であることが確認され、寄付されたということです。
教会からの寄付のさいの条件は、展示品としてではなく「使用し続けること」!

ナショナルトラストはマットを張り替え、玉と新品のキュー(玉突き棒)を用意して入館者に「どうぞどうぞ、200年もののビリヤードテーブルで遊んでってください」と勧誘し続けているそうです。

持ち主一家、ワット家と家族ぐるみの付き合いをしていた画家、ジェームス・マクニール・ホイッスラー(日本美術の影響を強く受けた日本でも人気の高いアメリカ人の画家)がこの部屋でビリヤードに興じる3姉妹の絵を描いています。


●グレート・パーラーのテーブル・ディスプレイのプラスチックのお茶会再現(プラスチックの食品見本の出来は今ひとつ)。


奥のフレンチ・ウィンドウ(張り出し窓)のインスタレーションアートの幼児用の椅子はミス・ワットが3歳で両親を亡くしこの大邸宅を相続したことを表現しているのかもしれません。

ナショナルトラストは死後この大地所を寄贈してくれたミス・ワットにものすごい恩義を感じているようです。たいへんな持ち上げ方です。

実際、立派な女性実業家で、敷地内に17もあった農園の経営に一生を捧げ、一日の休みもなく帳簿をチェック、農作物の取引に自ら出向き、趣味の温泉(というか鉱泉)巡りの旅の途中にも毎日欠かさず管理人に指示の手紙を書き続けたのだそうです。


●同じくグレート・パーラーの天井がすごかったです!!!


パネルごとに違う植物がうねうねと造形された驚くべき漆喰の職人技!

私はチューダー様式の漆喰天井が大好きなのです。



(上の写真に写っているうさん臭い手品師のように見えるのがガイドのピーターです)

17世紀ごろ、ワット家以前の持ち主は一家そろってロンドン住まいをしていたため、70年間ぐらいこの家を空き家にしていたことがあったそうです。
その時、領地の小作人たちは管理人の許可を得て勝手にこの領主のお屋敷に住み着いてしまい、上階の何十とある寝室に寝泊まりして内装をめっちゃくちゃに破壊しつくしたんだそうです。
このグレート・パーラーは床をはがされて土間の牛小屋兼搾乳場に利用されていたそうです。

現存の壁、床はワット家が自分好みに中世風にした修復、天井の漆喰細工もかなりな部分が修復です。


●同じくグレート・パーラーの「バッスル・チェアー」


シートがものすごーく深くて、背もたれにもたれると膝が中間ぐらいの場所に落ち着きます。
(入館者が座れないようにこのスピーク・ホールの貴重な椅子のシートの上には柊の枝が載せてあります)
ものすごーく脚の(しかも膝の上が!)長い人用か?と思えば、そうではなくバッスル・スタイルのドレスを着た女性用の椅子なのだそうです。

バッスル・スタイルは、腰の後ろ側をバッスルという腰当てで膨らました当時の女性の流行のスタイル、1875年ぐらいから5年ぐらいしか流行は続かなかったはずですが。
後ろに張り出した腰当てが突っかかって、普通の椅子ではごく浅くしか座れなかったみたいですね。


●同じくグレート・パーラーの「3人の奴隷ステンドグラス」


まんなかの紋章。(あー、よく見えませんね。矢3本と黒人の横顔)
奴隷貿易はイギリス史上最大の汚点。

一代で財を築いたワット家の初代は文盲の馬子だったそうですが、縁のあった篤志家に学校に行かせてもらい秘書になってリバプールの有力産業、船舶の投資でぼろもうけ。
リバプールにタウンハウスを多数所有して土地ころがしみたいなこともやっていたのですが、1795年、20代後半で荒れ果てていたこの屋敷を多数の領地内の農園ごと買い取って引っ越してきました。

リバプールあたりで18世紀ごろ、極悪非道の奴隷貿易とかかわらずにぼろもうけした大資産家は、まずいないでしょう。
世界に類を見ない大英帝国の繁栄の基礎は、まず航海技術、そして軍事力とか植民地化政策の成功とかいろいろ言われていますが、何と言っても、奴隷貿易

私たちの世代が学校で世界史を習った時と認識がかわってきています。


この、リチャード・ワット、船舶関係で成功した立志伝中の人物、ということになっていますが、奴隷がらみの投資をしていたし奴隷をたくさん所有して西インド諸島のサトウキビ農園で働かせていました。

貴族みたいな紋章をデザインして自分の成功のカギを忘れないよう選んだモチーフが、奴隷の頭! ぶっとい神経。



なんだか、長くなりました。
建築についてうだうだ書くのをやめたつもりなのですが、うだうだ書くことは他にいくらでもあるわけです。

というわけで、明日に続きます。

ヴィクトリア時代の召使の生活が垣間見れる部分をちょっとご紹介します。


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