先週暑くて天気のいい平日にリバプールそばの大邸宅+広大な庭園、スピーク・ホール Speke Hall に行きました。
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ナショナルトラスト所有です。私たち夫婦はごく最近、年間会員になったので、邸宅に無料で入館できました!
広大な敷地そのものは、地元の住民の憩いの公園として無料で開放されているようです。
会員以外、駐車代を徴収されます。(年間会員料のもとを少しずつとっているところです!)
1530年に建設開始、典型的なチューダー様式の建築ですが、私たちは、「ヴィクトリアン・ツアー」なるものに参加、おじいさんガイドの案内で見どころだけを回りました。
19世紀ヴィクトリア時代の生活を追うガイド・ツアー。チューダー様式の邸宅なのになぜ、ヴィクトリア時代?
なぜなら、ナショナルトラストがこの邸宅と広大な地所を最後の持ち主ミス・ワッツから譲り受けた20世紀の初めごろには、内装が、すっかりヴィクトリア時代のものに変えられていたからです。
「16世紀の建物に住む19世紀の資産家のライフスタイル再現」がテーマの歴史資産ということで公開しているんだそうです。
正面玄関上、破風。
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中央、屋根ひさしの下にかなり目立つ鳥の巣があるのですが、ちょっと見にくいですね。
貴重な歴史資産、第一級保存建築にいいのか?糞が心配。
ジャックドゥというカラスの一種の巣だそうです。
...いいみたいです。ナショナルトラストの人は気にしていません。
内装だけではなく、この外に出ている梁を黒く塗るスタイルも典型的なヴィクトリア時代の好みです。
チューダー建築がたてられてから300年近く、色を塗っていない木材の素材そのままの木地色だったそうですが、最後の持ち主一家が19世紀に黒く塗りたくっちゃったのです。
国内有数の完全無欠の貴重な「土壁チューダー様式」!
チューダー様式を忠実に復活させる修復をすべきではないか?というもっともな議論がナショナルトラスト内であったそうですが、結局は「最後の持ち主が住んでいた19世紀様式風アレンジのチューダー建築」として保存していくことに落ち着いたんだそうです。
ガラスもすべて、18世紀かそれ以後の修復。
以下、私の個人的な好みのスポット案内。ほぼすべて、ガイドのピーター受け売りです。
●暖炉の上の17世紀デルフト焼きタイルの、「ユトレヒト風景」画。
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現在のユトレヒトでこのタイル絵が描かれた場所が特定できるそうです。
19世紀に中世風の内装にした、暗いマホガニータイル張りの部屋。青い魚の絵プリントの夫のシャツと驚くほどマッチ!写真を撮りました。
●最後の持ち主、ミス・アデライード・ワットの生涯を表現する インスタレーションアート物件が各部屋に展示されていました。
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....意味不明です。(アートですから)
●19世紀の有名な工芸運動家、ウィリアム・モリスデザインがデザインした廊下の壁紙。
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モリス商会で手摺りで印刷された最初のロールが使われたという貴重な物件です。モリスの初期の傑作デザイン「トレリス」。
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四角いパネル内のこまぎれサイズ。1980年代に痛みの激しいものは新品と取り換えられたそうです。
1860年代のオリジナルとの違いは瞭然。
今でも同じデザインが製造販売されています。
●ビリヤード室にあるビリヤード・テーブル。
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第1次世界大戦中、戦地から一時帰還した傷病兵を慰めるためミス・ワッツが軍病院に気前よく寄付したこのテーブル、80年以上行方不明になっていたんだそうです。
リバプールの教会の娯楽室で偶然発見され、製造登録番号からスピークホールのビリヤード台であることが確認され、寄付されたということです。
教会からの寄付のさいの条件は、展示品としてではなく「使用し続けること」!
ナショナルトラストはマットを張り替え、玉と新品のキュー(玉突き棒)を用意して入館者に「どうぞどうぞ、200年もののビリヤードテーブルで遊んでってください」と勧誘し続けているそうです。
持ち主一家、ワット家と家族ぐるみの付き合いをしていた画家、ジェームス・マクニール・ホイッスラー(日本美術の影響を強く受けた日本でも人気の高いアメリカ人の画家)がこの部屋でビリヤードに興じる3姉妹の絵を描いています。
●グレート・パーラーのテーブル・ディスプレイのプラスチックのお茶会再現(プラスチックの食品見本の出来は今ひとつ)。
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奥のフレンチ・ウィンドウ(張り出し窓)のインスタレーションアートの幼児用の椅子はミス・ワットが3歳で両親を亡くしこの大邸宅を相続したことを表現しているのかもしれません。
ナショナルトラストは死後この大地所を寄贈してくれたミス・ワットにものすごい恩義を感じているようです。たいへんな持ち上げ方です。
実際、立派な女性実業家で、敷地内に17もあった農園の経営に一生を捧げ、一日の休みもなく帳簿をチェック、農作物の取引に自ら出向き、趣味の温泉(というか鉱泉)巡りの旅の途中にも毎日欠かさず管理人に指示の手紙を書き続けたのだそうです。
●同じくグレート・パーラーの天井がすごかったです!!!
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パネルごとに違う植物がうねうねと造形された驚くべき漆喰の職人技!
私はチューダー様式の漆喰天井が大好きなのです。
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(上の写真に写っているうさん臭い手品師のように見えるのがガイドのピーターです)
17世紀ごろ、ワット家以前の持ち主は一家そろってロンドン住まいをしていたため、70年間ぐらいこの家を空き家にしていたことがあったそうです。
その時、領地の小作人たちは管理人の許可を得て勝手にこの領主のお屋敷に住み着いてしまい、上階の何十とある寝室に寝泊まりして内装をめっちゃくちゃに破壊しつくしたんだそうです。
このグレート・パーラーは床をはがされて土間の牛小屋兼搾乳場に利用されていたそうです。
現存の壁、床はワット家が自分好みに中世風にした修復、天井の漆喰細工もかなりな部分が修復です。
●同じくグレート・パーラーの「バッスル・チェアー」
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シートがものすごーく深くて、背もたれにもたれると膝が中間ぐらいの場所に落ち着きます。
(入館者が座れないようにこのスピーク・ホールの貴重な椅子のシートの上には柊の枝が載せてあります)
ものすごーく脚の(しかも膝の上が!)長い人用か?と思えば、そうではなくバッスル・スタイルのドレスを着た女性用の椅子なのだそうです。
バッスル・スタイルは、腰の後ろ側をバッスルという腰当てで膨らました当時の女性の流行のスタイル、1875年ぐらいから5年ぐらいしか流行は続かなかったはずですが。
後ろに張り出した腰当てが突っかかって、普通の椅子ではごく浅くしか座れなかったみたいですね。
●同じくグレート・パーラーの「3人の奴隷ステンドグラス」
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まんなかの紋章。(あー、よく見えませんね。矢3本と黒人の横顔)
奴隷貿易はイギリス史上最大の汚点。
一代で財を築いたワット家の初代は文盲の馬子だったそうですが、縁のあった篤志家に学校に行かせてもらい秘書になってリバプールの有力産業、船舶の投資でぼろもうけ。
リバプールにタウンハウスを多数所有して土地ころがしみたいなこともやっていたのですが、1795年、20代後半で荒れ果てていたこの屋敷を多数の領地内の農園ごと買い取って引っ越してきました。
リバプールあたりで18世紀ごろ、極悪非道の奴隷貿易とかかわらずにぼろもうけした大資産家は、まずいないでしょう。
世界に類を見ない大英帝国の繁栄の基礎は、まず航海技術、そして軍事力とか植民地化政策の成功とかいろいろ言われていますが、何と言っても、奴隷貿易。
私たちの世代が学校で世界史を習った時と認識がかわってきています。
この、リチャード・ワット、船舶関係で成功した立志伝中の人物、ということになっていますが、奴隷がらみの投資をしていたし奴隷をたくさん所有して西インド諸島のサトウキビ農園で働かせていました。
貴族みたいな紋章をデザインして自分の成功のカギを忘れないよう選んだモチーフが、奴隷の頭! ぶっとい神経。
なんだか、長くなりました。
建築についてうだうだ書くのをやめたつもりなのですが、うだうだ書くことは他にいくらでもあるわけです。
というわけで、明日に続きます。
ヴィクトリア時代の召使の生活が垣間見れる部分をちょっとご紹介します。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。
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ナショナルトラスト所有です。私たち夫婦はごく最近、年間会員になったので、邸宅に無料で入館できました!
広大な敷地そのものは、地元の住民の憩いの公園として無料で開放されているようです。
会員以外、駐車代を徴収されます。(年間会員料のもとを少しずつとっているところです!)
1530年に建設開始、典型的なチューダー様式の建築ですが、私たちは、「ヴィクトリアン・ツアー」なるものに参加、おじいさんガイドの案内で見どころだけを回りました。
19世紀ヴィクトリア時代の生活を追うガイド・ツアー。チューダー様式の邸宅なのになぜ、ヴィクトリア時代?
なぜなら、ナショナルトラストがこの邸宅と広大な地所を最後の持ち主ミス・ワッツから譲り受けた20世紀の初めごろには、内装が、すっかりヴィクトリア時代のものに変えられていたからです。
「16世紀の建物に住む19世紀の資産家のライフスタイル再現」がテーマの歴史資産ということで公開しているんだそうです。
正面玄関上、破風。
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中央、屋根ひさしの下にかなり目立つ鳥の巣があるのですが、ちょっと見にくいですね。
貴重な歴史資産、第一級保存建築にいいのか?糞が心配。
ジャックドゥというカラスの一種の巣だそうです。
...いいみたいです。ナショナルトラストの人は気にしていません。
内装だけではなく、この外に出ている梁を黒く塗るスタイルも典型的なヴィクトリア時代の好みです。
チューダー建築がたてられてから300年近く、色を塗っていない木材の素材そのままの木地色だったそうですが、最後の持ち主一家が19世紀に黒く塗りたくっちゃったのです。
国内有数の完全無欠の貴重な「土壁チューダー様式」!
チューダー様式を忠実に復活させる修復をすべきではないか?というもっともな議論がナショナルトラスト内であったそうですが、結局は「最後の持ち主が住んでいた19世紀様式風アレンジのチューダー建築」として保存していくことに落ち着いたんだそうです。
ガラスもすべて、18世紀かそれ以後の修復。
以下、私の個人的な好みのスポット案内。ほぼすべて、ガイドのピーター受け売りです。
●暖炉の上の17世紀デルフト焼きタイルの、「ユトレヒト風景」画。
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現在のユトレヒトでこのタイル絵が描かれた場所が特定できるそうです。
19世紀に中世風の内装にした、暗いマホガニータイル張りの部屋。青い魚の絵プリントの夫のシャツと驚くほどマッチ!写真を撮りました。
●最後の持ち主、ミス・アデライード・ワットの生涯を表現する インスタレーションアート物件が各部屋に展示されていました。
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....意味不明です。(アートですから)
●19世紀の有名な工芸運動家、ウィリアム・モリスデザインがデザインした廊下の壁紙。
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モリス商会で手摺りで印刷された最初のロールが使われたという貴重な物件です。モリスの初期の傑作デザイン「トレリス」。
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四角いパネル内のこまぎれサイズ。1980年代に痛みの激しいものは新品と取り換えられたそうです。
1860年代のオリジナルとの違いは瞭然。
今でも同じデザインが製造販売されています。
●ビリヤード室にあるビリヤード・テーブル。
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第1次世界大戦中、戦地から一時帰還した傷病兵を慰めるためミス・ワッツが軍病院に気前よく寄付したこのテーブル、80年以上行方不明になっていたんだそうです。
リバプールの教会の娯楽室で偶然発見され、製造登録番号からスピークホールのビリヤード台であることが確認され、寄付されたということです。
教会からの寄付のさいの条件は、展示品としてではなく「使用し続けること」!
ナショナルトラストはマットを張り替え、玉と新品のキュー(玉突き棒)を用意して入館者に「どうぞどうぞ、200年もののビリヤードテーブルで遊んでってください」と勧誘し続けているそうです。
持ち主一家、ワット家と家族ぐるみの付き合いをしていた画家、ジェームス・マクニール・ホイッスラー(日本美術の影響を強く受けた日本でも人気の高いアメリカ人の画家)がこの部屋でビリヤードに興じる3姉妹の絵を描いています。
●グレート・パーラーのテーブル・ディスプレイのプラスチックのお茶会再現(プラスチックの食品見本の出来は今ひとつ)。
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ナショナルトラストは死後この大地所を寄贈してくれたミス・ワットにものすごい恩義を感じているようです。たいへんな持ち上げ方です。
実際、立派な女性実業家で、敷地内に17もあった農園の経営に一生を捧げ、一日の休みもなく帳簿をチェック、農作物の取引に自ら出向き、趣味の温泉(というか鉱泉)巡りの旅の途中にも毎日欠かさず管理人に指示の手紙を書き続けたのだそうです。
●同じくグレート・パーラーの天井がすごかったです!!!
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私はチューダー様式の漆喰天井が大好きなのです。
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17世紀ごろ、ワット家以前の持ち主は一家そろってロンドン住まいをしていたため、70年間ぐらいこの家を空き家にしていたことがあったそうです。
その時、領地の小作人たちは管理人の許可を得て勝手にこの領主のお屋敷に住み着いてしまい、上階の何十とある寝室に寝泊まりして内装をめっちゃくちゃに破壊しつくしたんだそうです。
このグレート・パーラーは床をはがされて土間の牛小屋兼搾乳場に利用されていたそうです。
現存の壁、床はワット家が自分好みに中世風にした修復、天井の漆喰細工もかなりな部分が修復です。
●同じくグレート・パーラーの「バッスル・チェアー」
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シートがものすごーく深くて、背もたれにもたれると膝が中間ぐらいの場所に落ち着きます。
(入館者が座れないようにこのスピーク・ホールの貴重な椅子のシートの上には柊の枝が載せてあります)
ものすごーく脚の(しかも膝の上が!)長い人用か?と思えば、そうではなくバッスル・スタイルのドレスを着た女性用の椅子なのだそうです。
バッスル・スタイルは、腰の後ろ側をバッスルという腰当てで膨らました当時の女性の流行のスタイル、1875年ぐらいから5年ぐらいしか流行は続かなかったはずですが。
後ろに張り出した腰当てが突っかかって、普通の椅子ではごく浅くしか座れなかったみたいですね。
●同じくグレート・パーラーの「3人の奴隷ステンドグラス」
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まんなかの紋章。(あー、よく見えませんね。矢3本と黒人の横顔)
奴隷貿易はイギリス史上最大の汚点。
一代で財を築いたワット家の初代は文盲の馬子だったそうですが、縁のあった篤志家に学校に行かせてもらい秘書になってリバプールの有力産業、船舶の投資でぼろもうけ。
リバプールにタウンハウスを多数所有して土地ころがしみたいなこともやっていたのですが、1795年、20代後半で荒れ果てていたこの屋敷を多数の領地内の農園ごと買い取って引っ越してきました。
リバプールあたりで18世紀ごろ、極悪非道の奴隷貿易とかかわらずにぼろもうけした大資産家は、まずいないでしょう。
世界に類を見ない大英帝国の繁栄の基礎は、まず航海技術、そして軍事力とか植民地化政策の成功とかいろいろ言われていますが、何と言っても、奴隷貿易。
私たちの世代が学校で世界史を習った時と認識がかわってきています。
この、リチャード・ワット、船舶関係で成功した立志伝中の人物、ということになっていますが、奴隷がらみの投資をしていたし奴隷をたくさん所有して西インド諸島のサトウキビ農園で働かせていました。
貴族みたいな紋章をデザインして自分の成功のカギを忘れないよう選んだモチーフが、奴隷の頭! ぶっとい神経。
なんだか、長くなりました。
建築についてうだうだ書くのをやめたつもりなのですが、うだうだ書くことは他にいくらでもあるわけです。
というわけで、明日に続きます。
ヴィクトリア時代の召使の生活が垣間見れる部分をちょっとご紹介します。
↓↓↓画像をクリックしてください。はい、ありがとう。