ええと、「気のおけない」問題についてひとしきり語ったので、さらに言葉の問題についてかたりましゅ。
最近、おかしな使い方でよく取りざたされるのが「何気に」。
これは本来「何気なく」なわけですが、何気」というのは何だろう。
辞書では「何気ない」と出てきます。
「何の気なしに」という言い方もありますね。
つまり、特に何かしらの意図はない、という意味で、「何気」とは「何かしらの意図」なわけです。
さて、この「[『何かしらの意図』がある」、といった意味で「何気」ということばを使うことはまずないので、まずその理由から、「何気」が何気ないの意味として使われるようになったのでしょう。
言葉は、より簡略化されてこなれた表現になっていくのが常なわけで、通常これは「洗練」されるといいます。
ただし、「何気ない」というのは、そもそも本来の意味の「何気」があって初めて意味をもつわけで、それとまったく反対の意味で使われようになるのは、いささか問題がないわけではないです。
意味的に見ておかしい「何気に」よりも、どうせなら、「はなげに」とかにしてしまったほうがいいのではないだろうか。(違う
もう一つ、「全然」。まったく、とか、まるっきりの意味でつね。
打消しの言い方や否定の意味を伴って使うわけでつね。
さて、これも打消しの意味を伴わない表現にクレームをつける人がいます。
しかし、昔は、「全然~である」で問題なかったのです。
夏目漱石などは普通に使っておったではないか。
それで、全然が否定的な場合だけに使われるようになったのは、戦後少ししてからなのだ。
したがって歴史的には「全然大丈夫」は全然大丈夫なのであります。
(あと、否定的な意味合いだけれども、例えば「全然駄目」というのはどうなんだろうか。これはずっと使われていたような気がします。駄目は否定だからオッケーなのかな)
さて、ぼくの場合、「全然」という言葉には、打ち消し表現がともなうというのが、感覚的に染み付いています。しかし、打消しを伴わない表現も使います。
それは含意の問題なのです。えーと、以下に書きます。
仮に、否定的な意味合い以外は駄目だとしても、会話で交わされる表現においては、それほどおかしくないのではないだろうか。
例えば「これ、私がつくったの。まずかったら言ってね」などと、女の子にお弁当をだされてみなさい。(妄想か?)
野郎としては、「全然、おいしいよ」といいます。
これは「全然。おいしいよ」なのだよ。→「全然、まずくないよ(あるいは「そんなことないよ」)。おいしいよ」なのである。
全然のうしろが省略されているだけです。
打消しの表現が来ることが決まっているのあれば、省略してもかまわないはずです。
「全然。おいしいよ」ではなく「全然、おいしいよ」と、つながってきこえるのは、実際の会話では、仕方ないことです。
また、「顔色悪そうだけど、大丈夫?」「全然、大丈夫」といった場合。
「大丈夫?」ときかれて、「大丈夫」とこたえるのは、たしかに否定ではない。なにも打ち消していないように見えます。
しかし、質問側のニュアンスを考えた場合、「体調がわるいのではないか?」と心配する気持ちが含まれているはずです。
まあ、本当に心配しているのかというのは別にしてw、少なくとも「体調がわるいのではないか?」の意味は入っているはずでつ。
したがって、「全然、大丈夫」の全然は「全然体調はわるくない」とか「全然、心配には及ばない」の意味が回答する側には含まれるはずなのですぴよ。
このような会話である限り、「全然」の使い方がおかしいとは思えません。
これに文句をつけるおっさんがいるなら、その人は「全然」というシニフィアンを、含意を考慮せずそのままシニフィエとしても捉えているのであろう。(まあ、その人にとっては、まるっきりのシーニュなのだな)
つまりコンテキストを無視して判断しているように思います。
コンテキスト(文脈)の理解は会話の理解や読解の基本でつ。(あたりまえだ)
ただ、一方的に一人でしゃべったり書いたりしていて、「全然、オッケー」というのは、ちょっとお笑いを含んでいるようには思うのであります。
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