小泉政権時代から、「格差社会」という言葉が非常に多く使われるようになりました。
基本的にはよくない意味で使われます。
しかし、格差という表現は微妙です。
これは、言い訳がかなりできてしまいます。
1、格差に関して
努力の結果としての格差。
まあ、ある程度ありますよね。しかも、それはそこそこ仕方ないんじゃないかと思ってしまいます。
能力による格差。
これもある程度は仕方ないように思ってしまいます。
同じことをやって、そこで成果の違いが出るような場合。
この二つをもとにして、だから格差ができるは仕方ないんだという言説があるとすると、一概に否定はできないです。
しかし、現実はそうではないと。
能力差がつくことに関しては、努力の差以外での理由があるとしたら、主に本人の問題ではないからです。
そもそも能力差って?
ある一定の年齢になって、能力差が生じるとすると、何がちがうのか、あるいは何が問題なのでしょうかね。
教育でしょうか。
まず、生まれた家庭の環境。
今、日本では、シングルマザーの8割は貧困だという話です。
裕福な家庭に生まれた子供とは明らかに教育その他の物質的なものを含めた環境のレベルが違ってきますね。
これは極めてわかりやすい話ですが、現政権では悪化はしてもよくなることはないですよね。
つまり、貧困な家庭に育った子供は、また貧困な家庭しか作れない可能性が高くなります。
あるいは、家庭を作らないか。
それから、社会の多様性の問題。能力といっても人によって得意・不得意はまちまちです。
みなが同じように学校に行って勉強して、同じように進学を目指すとしたら、そういうことが得意な人は有利でしょうが、世の中そういう人たちばかりではないです。
そういういろいろな人のいろいろな可能性を見出したり生かしたりする環境があるか、ということもあると思います。
好きなもの、得意なものなら努力できるかもしれません。(というか、出来るでしょう)
2、階級社会
今、日本が向かおうとしているというか、すでにそうなりつつあるのは、格差社会というよりも階級社会です。
シングルマザーの例のような事象が、これからどんどん増えていくということになることがごく当たり前に予想できます。
昨日、ふとwikipediaの「猿の惑星」のページを見たのです。
じつは、地球の遠い未来を考えると、人類の滅亡というのは非常に容易に想像できますが、猿が人間に取って代わっているというのは、作者のジョーク(あるいは皮肉というか。)だろうと思って、その辺のことがどこかに書かれていないか見てみたのですが、それはわからなかったけれど、以下のような文がありました。
しかし猿たちは、人類と猿の関係(猿が賢く人類が愚かである事)は固定的なものではなく、何らかの理由で入れ替わる可能性があるのではないかと考え、主人公を危険視し始める。
つまり、猿たちはもちろんその階級が人間よりは上です。その階級を固定したいんですよね。
自民党の議員の多くが2世議員や3世議員であるというのがポイントですね。4世もいますけどw
その状態を維持したいんでしょうね。
彼らは政治に関する能力もないことはすぐにわかりますよね。
能力により議員になったわけではなくて、たまたまそういう家に生まれたから、議員になっていると。
本当に能力で差がつくならば、彼らは貧困層になってしまうんですが、日本は能力より出自のほうが重要なのでしょう。
安倍君て、若いころってほとんど働いたことがないですよね。
あれは、どこに行っても通用しないですよね。
そんなやつでも首相になれちゃうのは、まず、自民党総裁になれたからなんですが、彼らが同じようなものだからですね。
アメリカでもいましたね。親が大統領で、やたら戦争の好きなバカ息子が。
時代遅れの石油利権のためにイラクに戦争仕掛けて、いまだにグダグダですけど。(高遠さんいよると、新たなアルカイダの進化系がイラクにせまっているそうです。)
安倍政権の政策というのは、ほとんどが階級を作り上げてそれ維持するためのものですね。
誰かと同じように時代遅れの原子力利権にしがみついたり、あきらかに脳が悪いんですが、周りも似たようなものだか永田町界隈では通用してしまうんですね。
なんか長くなってきたのとグダグダになってきたので、今日はこの辺で。
なんとなくつづきます。
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