写生自在9 これは写生句だろうか・・
麦秋の医者を床屋に探しあて 迦 南
迦南句集のなかで本当にこの一句だけが外の句と風合いを異にしています。類句は一句もないのです。
起承転結における「転」だけを、或いは4コマ漫画の3コマだけをぽんと示して、前後のことを作者は何も語らず、解釈はどうぞご勝手にと読者に丸投げにしているような句です。
この句はホトトギス誌上で虚子が採った句です。虚子は何を考えて採ったのか、それを考えてみるのはなかなか面白いことです。
わたしは長い間この句は自分の力では鑑賞不能の句として取退けてきましたが、ここで少し考えてみたいと思います。
この句を構成している言葉の内、重要なのは麦秋・医者・床屋の3語です。「医者を探しあて」このフレーズはこれ以上削りようがなくこれが基幹部ですね。
そうすると麦秋・床屋はその修飾語ということになります。そういうことをずっと考えてきたのですが、それは出口の見つからぬどうどう巡りであることに気付き、
ここは発想の転換が必要な場面であると思い至り、その挙げ句ある事に気が付いたのです。
そのある事とは…連句です。
これは連句における第三もしくは平句ではないかと思いつき、そしてだんだんそのことを確信するようになりました。
笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨 荷兮
上の句は、芭蕉七部集の「冬の日」から抜き出した一句です。どうでしょう、4コマ漫画の3コマ目というスタイルですよね。これには前句があるのです。
しばし宗祇の名を付し水 杜國
この前句の「付し水」から水の縁語である時雨が導き出され、さらに宗祇のような風流人ならば、時雨が降ってくれば、無理にも笠を脱いで濡れて歩くだろうと諧謔に転じたものです。
迦南の句をそういうものと理解すればそれには前句があったはずですが、それは失われています。
ここで、傍証となるのは虚子が連句を優れた文芸として推奨した時期があったということ。ホトトキスに連句が掲載されていた時期があり、高浜年尾など熱心な作者でした。
迦南句の前句が見つかればこの疑問ははれるのですが・・・