以下は前章の続きである。
日本史を知らぬ中韓のイエスマン
三人目の悪人は、自民党総裁も務めた河野洋平元衆院議長である。
彼こそが田中氏が残した親中・親韓路線の後継者だった。
彼の質が悪いところは、証拠がないと分かっていながら、官房長官時代に慰安婦の「強制連行」を認めたことだ。
「日本はかつて彼らにひどいことをした」という個人的な贖罪意識を持つのは自由だが、政府を率いる立場にありながら事実を無視し、中韓の言いなりになった愚行は許し難く、日本の政治や社会を深く傷つけた彼の罪は重いと断じざるを得ない。
日本を「格下」と見る中華思想に今もどっぷりと浸かる大陸や半島とは、真の友好関係を構築することは難しく、彼らに対してはナイーブさを捨てて、毅然と振る舞わなければならないということは、古くは聖徳太子ら先人たちが教えてくれている。
中曽根康弘元首相は、中国の胡耀邦元総書記と家族ぐるみで付き合っていたが、靖国神社への公式参拝を見送った理由について、「親日派」だった胡耀邦氏の立場が中国で危うくなったためとしている。
要するに、中国は友情や人脈を“脅しの道具”に使うような人たちであり、この点、日本人の友情観とは大きく異なり、彼らとの交渉は慎重にも慎重を期す必要がある。
河野氏は日本を否定する終戦直後の“黒塗り教科書”で学んだ世代だからなのか、こうした中韓に関する常識を理解していないように感じる。
生涯学習が叫ばれているこの時代、日本史を学び直すことをお勧めしたい。
これは余談だが、息子の河野太郎外相は幸い、父の負の遺産を引き継いでいないように見える。
北朝鮮問題では、安易な妥協には応じないとする安倍政権の立場を毅然と主張しており、実に頼もしい。
親のもとを離れた米国留学中によほど優れた友人、教授と交流を深めたのではないだろうか。
彼は掘り出し物かもしれない。
ここまでお読みになって、日本の左傾化を後押ししたのは戦後の自民党政治であったことはお分かりいただけただろうか。
土井氏も河野氏も田中氏が産み落としたと言っても大げさではない。
私が田中氏らの台頭と同時に政治取材への興味を失ったのは、ある意味において必然であった。