文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

なぜアメリカが日本を敵視するようになったかといえば、アメリカは世界史をよく知っていたからである。

2022年12月13日 10時31分49秒 | 全般

2014年8月まで朝日新聞を購読していた私は渡部昇一氏が本物の大学者であることを全く知らなかった。
朝日新聞を購読していた殆どの人も同様だったはずである。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

p223-p233

●日露戦争後、アメリカにとって日本は、やがて滅ぼすべき国となった 
その後の歴史を見ると、日露戦争の勝利は、世界に大きく三つの変化をもたらした。
第一は、当時迫害されていた世界の有色民族のリーダーたちに独立の希望を初めて与えたこと。
これは第二次大戦を経て続々と独立を達成した国々のリーダーたちの言葉によって証明されている。 
第二は、日本が世界的に大国として認知されたこと。
ロシアに勝利したことで、日本は押しも押されもせぬ強国になったといってよいだろう。 
第三は、アメリカが日本を敵視するようになったこと。
日露戦争は日米戦争へと向かうきっかけとなったのである。 
なぜアメリカが日本を敵視するようになったかといえば、アメリカは世界史をよく知っていたからである。
世界の歴史では、小さな陸軍あるいは弱小な陸軍が奇襲攻撃を用いたりして大きな陸軍に勝ったことはしばしばあった。
それは珍しいことでもないし、世界の大勢に影響を与えることもあまりない。
ところが、海上の戦いは文明の戦いであり、その勝敗が後の文明のあり方を決するのである。
古くは紀元前四八〇年に行われたサラミスの戦いである。
このときペルシャの海軍がアテネの海軍に滅ぼされ、ペルシャは地中海に出てこなくなった。
その後、イスラムが地中海に力を持つ中世の時代になるが、一五七一年のレパントの戦いでトルコ海軍がベニスやスペインの連合艦隊に大敗して、地中海はキリスト教の支配する海になる。
それから、植民地争奪戦の時代、一五八八年にイスパニアは無敵艦隊を失い、植民地競争からずり落ちる。
一八〇五年のトラファルガーの戦いでネルソンに負けたナポレオン、すなわちフランスは、植民地競争でイギリスに追い落とされてしまう。
そしてアメリカの独立を妨げようとしたイギリスは、アメリカ海軍を滅ぼすことができなかったために、ついに独立を認めざるを得なかった。
その後、アメリカは独立してスペインと戦い、スペイン海軍を打ち破ってカリフォルニアを含む南部のいくつかの州とフィリピンを手に入れる。 
すべて海軍の戦いの勝敗で時代が大きく動いている。
それだけに、日本海海戦で日本の連合艦隊がロシア艦隊を撃破したとのニュースはアメリカに衝撃を与えた。
それまでは無視してもいいような小国で、むしろ同情さえしていた日本海軍がロシアの戦艦を何隻も沈め、自分のほうの軍艦は一隻も沈んでいない。
この結果にアメリカは恐怖を覚えたに違いない。
文明の変化が起こると感じたはずである。 
また、日本の勝利はアメリカ建国の基盤が緩むということも意味していた。
アメリカにとって建国の基盤とは人種差別である。
もし本当にアメリカに人種差別の意識がなかったとしたら、インディアン(ネイティブ・アメリカン)から土地を取り上げることはできなかったはずである。
また、黒人を奴隷にして農業を発達させることもできないし、ヒスパニックを酷使して仕事をさせることもできなかっただろう。
ゆえにアメリカの建国の基盤には疑いなく人種差別があった。
ところが、アジアの片隅の有色人種が白人最大の帝国を海上の戦いで破った。
それを聞いたアメリカのいちばん奥の院にいて政治的な知識のある人々の間に、日本は滅ぼさなければならない国になったという合意ができたと思うのである。 
それから日米間の亀裂は少しずつ広がっていくことになる。
まず明治三十八年(一九〇五)、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋でロシアとの間にポーツマス条約を締結した直後、アメリカの鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンが来日し、南満洲鉄道の共同経営を申し入れてきた。
このとき、維新の元勲である伊藤博文や井上馨、あるいは渋沢栄一などは、この話に乗り気だった。
そういう人々の意見を聞いた桂太郎首相も、その線で行きましょうと、奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマンの仮協定を交した。
ハリマンは喜んで船に乗って帰っていった。
ところが、サンフランシスコに着いたら、「あの話はなかったことにしてくれ」という思いもよらぬ電報を受け取る。
ハリマンが船で太平洋を進んでいる間に、ポーツマス条約を締結して帰国した小村寿太郎が政府の意見をひっくり返してしまったのである。
日本が血を流して勝ち取った南満洲鉄道の権利なのにアメリカと共同経営するとはなんたることか、と。
ハリマンは怒った。これは当然であろう。そしてアメリカの財閥と政界は一致しているから、政界も怒ったのだろう。
その後間もなくして、カリフォルニア州において日本人の差別運動が起こった。
これは学童差別からはじまって、だんだんエスカレートしていった。
また、ポーツマス条約のときは、日本にどちらかといえば好意的であるように見えたセオドア・ルーズベルトも、日本をいい気にさせないようにということか、ホワイト・フリートといわれる大艦隊を日本に送り込んだ。
しかしこのとき、日本はアメリカの真意がわからず、かの艦隊を大歓迎しているのである。

 


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