彼の家が記念館として保存・公開されている事を知ったのは、この頃の事だったと思う。
以来、私は何度も彼の家を訪れた。
私は自分の人生を悔んだり、人を羨んだりすることは全くない人間だが。
彼の家には、彼の住まい=日常には、私の天才が激しく反応した。
慟哭した。
私もまた、このようにして暮らすべきだった事を彼は痛切に私に思わせたからである。
私は何にも要らないから、彼の家、彼の日常、これだけは欲しかった。
そう私の魂は慟哭したのである。
天才として順風満帆に人生を送れなかった無念を初めて感じもした。
この写真集を、本当に久しぶりに再見した私は、私自身に感謝した。
よくぞ撮っていてくれた。
HDに保存して置いてくれた友人にも感謝である。