良識も常識も見識もない有象無象の集団であり、こんな集団が日本の学術問題を背負っているなどと自分で言うのは噴飯もの
2021/05/26
本章はGoogleで検索妨害の犯罪に遭っていた。
インターネットは人類史上最大の、かつ最速の図書館である。
インターネットで世界有数の企業になった御社には、インターネットを清浄に維持する義務があります。
先ずは、本件の犯罪者を特定し、刑事告訴して厳罰に処してください。
再発信します。
以下は本日発売の月刊誌WiLLの巻頭を飾る大阪大学名誉教授加地伸行の連載コラムからである。
日本学術会議に関してのこれ以上ない論文である。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
世の中、世間知らずの愚者(おろかもの)集団がいろいろとあるが、その最たるものは、この四月下旬に声明を出した日本学術会議である。
周知のように、半年前、日本学術会議が出した会員候補の内、六名を首相が任命しなかった。
それに反抗する延長線上に現われたのが、同会議の四月下旬の声明である。
しかし、政府はそれを一切無視。状況はなにも変わっていない。
すなわち日本学術会議なるものが、いかに無力なものであるかということを、よく示している。
老生、日本学術会議にまったく無縁な者であるが、今回、政府の任命拒否があってからの日本学術会議の声明や行動を新聞紙上等で知るかぎり、日本学術会議の行為・考えかた等について一言で評せる。
すなわち集団になると〈愚者〉となる典型と。
良識も常識も見識もない有象無象の集団であり、こんな集団が日本の学術問題を背負っているなどと自分で言うのは噴飯もの。
日本の学術、延(ひ)いては日本の学術問題を背負っているのは、個々の研究者である。
小学校の学芸会ではあるまいし、集団だからと言って、日本の学術を代表しているわけではない。
それが証拠に、今回の任命拒否された学者六人は、その研究分野において歴史に残る学説を創造した人々なのか。
老生、別分野の者であるが、寡聞にして知らない。
では、お前はどうなのだと問われれば、即答しよう。
老生、百年は残る学説二点を創造した。
その学説に基けば、中国古典学を根底から理解できると自信をもって伝えよう。
そうした学説創造に至るまで、すべては〈個人〉の努力に依るのであって、日本学術会議などという集団のお世話になったことなどまったくない。
彼らが下らぬ会議に時間を費やしている間も、老生は必死になって研究を続けていた。
研究に必要な費用は、生活費を節約して作り出していた。
不足のときは、一般人向けの原稿を書いて補なっていた。
彼らは、なにかと言えば、研究費研究費と騒ぐ。
それ、本気なのか。
文系それも古典学の老生、或る古典を解読するのに、量にもよるが、相当の時間を要してきた。
もちろん、精密に〈眼光 紙背に徹する〉沈黙の読解-その苦悶と歓喜とは、個人の孤独に徹するところから生れる。
研究者に対する悪環境は、チャラチャラした会議や学内政治である、と断じておこう。
にもかかわらず、日本学術会議なるものは、特定の政治運動の下に蠢(うごめ)いている。
その組織が研究者にとって本当に必要不可欠のものであると称するならば、国家の庇護など振りすてて、研究者を集めた民間集会にすればいいではないか。
本当に必要と言うのならば、年会費一万円として、仮に一万人が集まれば、一億円(同会議現行予算額)を作れるではないか。
研究者会員を仮に三十万人とすれば、三十億円を集められよう。
それこそ国家から独立した真の日本学術会議となるではないか。
しかし、日本学術会議にはそのような発想も見識も度胸も皆無。
ひたすら国家予算にぶらさがっているだけである。
それでは学問の独立などありえない。
まして国家有為意の学術的献策など思いも及ばない。
要するに、同会議をつぶしてしまっても、研究者の研究になんの支障もないのである。
そんな不要なものに対して国家が十億円もの予算を組むこと自体が問題であろう。
そのような予算の余裕があるならば、二十代後半から三十代前半にかけての無職文系研究者約千人に対して十億円を分配すれば、一人につき年間百万円の研究費を支給できるではないか。
理系研究者に対しては、関係企業が研究費をドンと給付すればいい。
企業にとって彼らは新しい戦力となるからである。
無能にして無力な日本学術会議が政府相手の喧嘩とは、見物だな。
古人曰く。蟷螂(かまきりか)の斧(おの)を以(もっ)て隆車(大きな車)の隧(方向)を禦がん(じゃましよう)と欲す〔ような馬鹿な話よ〕、と。