文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

ところが、太陽光発電推進派の学者は、そうした高校理科の知識で分かるレベルの事実を隠してきた

2022年08月29日 07時09分19秒 | 全般
それを主力電源にしようとすると、広大な面積の開発が必要になり、自然破壊が進むことは容易に予測可能である、と題して、
2020年11月14日に発信した章である。
再発信する。
以下は月刊誌「正論」今月号に掲載された掛谷英紀の論文からである。
彼は、東大や日本学術会議会員の多くの人間達の様な左翼小児病患者から最も遠い地平に居る。
東大で学んだ人間に相応しい研究を続けている本物の学者である。
この論文は日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
見出し以外の文中強調は私。
「学者の全人代」こそ 学問の自由に介入
日本学術会議会員の任命で、政府が105名の候補のうち6名を拒否したことが問題になっている。 
この6名は、いずれも「安全保障関連法に反対する学者の会」(以下、「学者の会」)の呼びかけ人になるなど、学者の肩書を使って左翼的な政治活動を積極的にしてきたことで知られる。
そのため、政府に批判的な学者だけが意図的に外されたと批判されている。
しかし、実際には「学者の会」に署名した学者が今回も多数任命されており、政府に批判的な人間を全員外すといった極端なことは行われていない。 
10月1日に学術会議会員の任命拒否問題のニュースを見て、私が最初に発したツイートは次のようなものだった。 
〈日本学術会議の人事。私の予想通りの展開。学問に政治を介入させないためには、学者は政治に介入してはいけない。これまで散々学者の肩書を政治利用してきたツケだ。学者の政治活動を野放しにした学界に最大の責任がある。
そのツイートで引用したのが、2018年5月2日に発した次のツイートである。 
「政治は学問に介入してはいけない」と「相互主義」を仮定すると、「学問は政治に介入してはいけない」が論理的に導出できます。相互主義的な考えを認めず、学者だけが一方的に政治に介入できることになると、法の下の平等に反する特権的な地位を学者に与えることになりませんか。〉 
実は、本誌2018年6月号と8月号で、私は「学者の会」が学者の肩書で政治活動をしたことを批判している。
*これは本欄でもご紹介した事は読者は御存知の通り*
右のツイートは、6月号発売直後、そこに掲載された私の文章に対して精神科医の香山リカ氏がツイッターで言いがかりをつけてきたことへの一連の反論の中で発したものである。 
学者がその肩書を用いて政治活動をしてはならない理由は、右のツイートで述べた通り、学問の政治からの独立を保つためである。
マックス・ウェーバーが学問の価値中立を唱えたことは有名である。
しかし、最近は学問が政治に介入すべきではないという考え方が軽視されるようになってしまった。 
学者がなぜ政治を目的化してはいけないか。
それは、自らの政治目的に不利な事実に目を瞑るようになるからだ。
そうなってしまうと、学問の本来の目的である真理の探究はできない。 
例を挙げよう。
主たる電力源として何を選ぶかといったとき、それぞれのメリット・デメリットを客観的に分析して、それを正確に伝えるのが科学の役目である。
政治目的が先に定まってしまうと、客観的な評価ができず、自分の政治目的に合う電力源のデメリットを隠すようになる。 
たとえば、太陽光をはじめとする再生可能エネルギーは、エネルギー密度が非常に低いという科学的事実がある。
そのため、それを主力電源にしようとすると、広大な面積の開発が必要になり、自然破壊が進むことは容易に予測可能である。
ところが、太陽光発電推進派の学者は、そうした高校理科の知識で分かるレベルの事実を隠してきたのである。
もちろん、それと同じ批判は原発安全神話を謳ってきた学者にも同様に向けられるべきである。 
東野圭吾原作の映画「真夏の方程式」で、福山雅治演じる天才物理学者、湯川学はこう語っている。 
「僕の興味は、真理を追究することだ。真理というのは、人類が正しい道を進むために、この世界がどうなっているのかを教えてくれる、地図のようなものだ。その地図をつくるのが、科学の役目だ」 
科学の役割は正確な地図を作ることであって、どの道を進むかを強制することではない。
いずれの道を進むにしても、いいことも悪いこともある。
それを包み隠さずに地図に書き込むことが科学の役割なのである。
科学者が政治に対して助言するとすれば、それはできるだけ正確でかつ分かりやすい地図を作ってみせることである。 
原作者の東野圭吾は大阪府立大学工学部を卒業して、技術者として働いた経歴を持つ。
その彼が湯川学に語らせた科学観は、ほとんどの理系人にとって納得できるものだろう。
しかし、最近は自分の政治目的に都合のいい地図を何の躊躇もなく作る学者が、特に文系の学問分野で増えてしまった。
この稿続く。
 


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