文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

バカな朝日がそれに乗って米軍による他殺説を取り、松本清張も相乗りした。そしたら古畑鑑定がみんな嘘とバレた。

2023年01月13日 16時40分39秒 | 全般
草津の黒岩信忠町長が被った「とんでもない言いがかり」に対する上野千鶴子の呆れた態様を知った私は、朝日新聞は嘘の鑑定に乗り冤罪事件の片棒を担いだ、と題した高山正之の論文を思い出した。
昨年、大晦日に我が家に届いた、定期購読専門月刊誌テ―ミスに掲載されていた彼の連載コラムからである。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江、村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も痛切に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

共和党員に嫌われたマッカーサー 
日本は他国に支配されたことはない。
敗戦後の7年間を除いて。 
あの時代、マッカーサーは已に敵前逃亡の汚名を着せた日本軍への復讐と、白人国家に楯突き、彼らの貴重な財産だった植民地を勝手に解放した日本をぶち壊すことに懸命だった。 
まともな日本人は追放し、共産党員を国会議員にし、憲法も書き換えた。 
そんな無法は許されないのに、憲法学の頂点に立つ宮沢悛義は「8月革命があった」と落語みたいな落ちでマッカーサーの顔を立て、貴族院議員に取り立てられた。
敗戦利得者の第1号だった。 
マッカーサーはそうした破壊と復讐を昭和22年中に終わらせた。
なぜなら翌23年(1948年)には米大統領選があり、彼は「太平洋戦争の英雄」として共和党から出て、大統領になるつもりだった。 
しかし米市民は彼がフィリピンで兵士を捨てて敵前逃亡したことも、逃げる前には比大統領ケソンから50万ドルの礼金を脅し取ったことも知っていた。 
それで彼はもう10年も帰国できずにいた。
ただ大統領になればその種の醜聞は不問にされるのが米国の伝統だった。
黒人女との間に子をなしたジェファソンもKKKの一員だったトルーマンもその罪を問われなかったのがいい例だ。 
それで彼は日本の占領統治を48年までに片づけ、大統領予備選で選ばれるのを待って帰国する気だった。 
ところがその予備選で彼は代議員1千94票中、たった11票しか取れなかった。
米共和党員ですらこの気障ったらしい臆病者をホントに嫌っていたのだ。 
帰国もできなくなったマッカーサーは日本に居座りを決めた。
朝鮮戦争さえ起きなければ彼はずっと「米植民地日本」の総督の座に居続ける気だった。 
日本人には暗い時代だった。
三国人が街を闊歩し、駅前の一等地は彼らが不法占拠してパチンコ屋を開き、日本人には歌うことも禁じられた「軍艦マーチ」を大音量で流していた。 
米兵はもっと野蛮で、日本人を見ると殴って腕時計を奪った。
手塚治虫も米兵に袋叩きにされた経験を持つ。 
日本人社会も荒んだ。
終戦の翌年には買い出しに上京した少女を「闇米を分けてやる」とか誘って7人も犯し殺した小平義雄が捕まった。 
翌年には東京で青酸カリを16人に呑ませた帝錣事件、熊本では一家4人を殺傷する免田事件が起きた。 
その翌年には国鉄総裁下山定則が不審死し、弘前市で大学教授夫人が殺された。
その翌年はまず財田川事件が起き、そして朝鮮戦争が始まった。 

鑑定と称して証拠を捏造した 
まさかの戦争。
先の戦争では日本軍との戦いに白人はインド人やフィリピン人、支那人に銃を持たせて戦わせた。 
しかし朝鮮戦争では使える植民地兵はいなかった。
白人が自ら矢面に立たねばならなかった。
偉そうな顔して好きをやっていた米軍将兵は戦況の悪化に連れ、みな青ざめ、街角の狼藉も酷くなった。 
それを映したように犯罪もますます惨くなっていった。
53年には徳島ラジオ商殺し、54年には幼女誘拐殺人の島田事件。
55年には宮城県で一家4人を殺して放火した松山事件が起きた。 
そのころの捜査も世相を映して荒んだものだった。
徳島ラジオ商殺しは押し込み強盗が夫婦を殺傷して逃げた事件だが、警察は16歳の丁稚を45日間も拘留し「奥さんが犯人」と証言させた。
こんな出鱈目を検事が追認し、裁判所は疑問も持たずに妻を13年の刑に処した。 
免田事件では怪しい免田栄を捕まえて絞り上げて自供させ、死刑判決が出ると証拠品をさっさと処分している。
そういう経緯があって再審が認められ、免田栄も死刑囚監房から解き放たれた。 
戦後の事件で冤罪が立証され、死刑囚が生還したケースは免田事件の他に財田川、島田、松山各事件の3件がある。 
先日の朝日新聞はこの4件の冤罪を取り上げ、中でも免田事件が「日本の冤罪の典型」のように書いていた。 
確かに免田事件は杜撰で投げやりな捜査が冤罪を生んだことは間違いない。
徳島ラジオ商殺しも死刑でこそなかったが同じパターンの冤罪だった。 
しかし、その主張にはまやかしがある。
なぜなら残る3件の「冤罪死刑囚」は杜撰とは別の要素がはっきりある。
それは「権威を以て白を黒にする」明確な悪意があったことだ。 
その張本人が東大法医学の第一人者で文化勲章受章者の古畑種基だ。
彼は鑑定と称して証拠を捏造していたのだ。 
きっかけは弘前大教授夫人殺し。
古畑は容疑者の那須隆の襟についていたシミを「被害者の血」と鑑定し、それで懲役15年が決まった。 
ところが23年後の71年、真犯人の滝谷福松が名乗り出てきた。
古畑鑑定は大間違いだった。
しかし裁判所は冤罪に泣いた市民の救済より東大の権威を優先させて再審を躊躇った。
幸いというか、古畑は75年に病死し、再審が始まり、古畑鑑定の嘘が公になった。 

米軍説に松本清張も相乗りし 
実は免田事件以外の3件の死刑囚冤罪もみな占畑鑑定が有罪の決め手だった。 
続々と再審が開かれて、いずれの鑑定もインチキと判明。
3人の死刑囚が生還できた。
重大犯罪の鑑定は以後、東大と慶応大が交代で行うようになり、冤罪はもう二度と生まれていない。 
古畑は実は下山総裁の鑑定もした。 
しかし彼は「轢断では出血が少ない」事実を知らなかった。
それで「血を抜かれたあと列車に轢かれた死後轢断」と噴飯モノの鑑定を出した。 
バカな朝日がそれに乗って米軍による他殺説を取り、松本清張も相乗りした。 
そしたら古畑鑑定がみんな嘘とバレた。
今、下手に冤罪問題を紙面で扱うとどうしても古畑が出てくる。 
そうすると朝日の古傷も出てくる。
今回の朝日の記事も徹底して古畑を隠す仕立てにしている。 
嘘を書けばいつまでも祟るものだ。
 
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