2020/10/6に発信した章である。
検索妨害の犯罪行為に遭っていた。
再発信する。
2019-09-09に発信した章に加筆する。
以下は月刊誌WiLL9月号に、韓国のウソに立ち向かえ、なぜ韓国は“反日”を続けるのか。歴史の真実をつきつけ、韓国の虚構を暴け、と題して掲載された松本厚治氏の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読の論文である。
この論文を読まなければ戦後の極東の歴史は全く分からないのである。
松本厚治氏は東大を卒業して通産省に入省、韓国に赴任して、韓国のおかしさに気づき、韓国について世界最高の労作を著した。
彼は東大に入るエリートの役割を体現している日本の国宝の一人である。
彼の労作には最澄も比叡山で頭を垂れているはずである。
韓国のエージェントであり信じがたい程にお粗末な低能であるアレクシス・ダデンが米国の歴史学会を支配している。
国連も同様なのである。
国際社会が自分達の無知と低能を知って恥じるべき時はとうに来ているのである。
何よりも、底知れぬ悪とまことしやかな嘘の国である韓国が戦後74年間、中国は天安門事件から国民の目を逸らす為に江沢民が始めて、今も続けている。
反日教育と言う名のナチズムを国際社会が看過してきた事が、今の、極めて不安定で危険な世界を作って来たのである。
中国の増長、韓国の発狂(朝鮮半島の発狂)、プーチンの増長、これらは全て国際社会が中国と朝鮮半島が行い続けているナチズムを放置し続けて来た結果なのである。
以下は前章の続きである。
「韓国の伝統」は近代から
あえて言いますが、韓国は世界で最も日本に似た国です。
近代以降、ずっと日本の制度と文化を取り入れてきたので、社会の隅々まで日本の影響が及んでいる。
日本は日清戦争を戦って朝鮮を独立させましたが、この戦争によって誕生した韓国は、独立国の地位を獲得しただけではなく、それまであった旧朝鮮とはまったく違う国になったと言えます。
中国からの独立、文化語としての韓国語の成立、近代的方法論による朝鮮研究など、韓民族誕生につながる核心的な課題は、あらかた日本人によって達成されました。
意外に感じる人は多いと思いますが、現在「韓国の伝統文化」と呼ばれるものの大方は実のところ近代以後に出現し、あるいはその意義が見出されたものです。
その際、先導的な役割を果たしたのは日本人でした。
本来、朝鮮半島の人々は自国固有の伝統文化などにあまり興味はありませんでした。
「韓国的なもの」は、意識の世界では当時はほとんど存在していなかったのです。
韓国の歴史教科書の口絵には慶州の石窟庵にある仏像の写真が載っています。
新羅の時代につくられた見事な仏像です。発見されたのは1909年。
日韓併合の前ですが、日本統監府の保護下にあった時代です。
雨宿りのために洞窟に入った日本人の郵便配達夫が、雨ざらしになっていた仏像を見つけて大騒ぎになった。
調査団が派遣され、大変貴重なものだということで、総督府が大がかりな工事をして保全に力を尽くしました。
当たり前だと思う人がいるかもしれませんが、李氏朝鮮は仏教に敵意を持つ硬直的な儒教国家で、多くの仏像が見つかり次第破壊され、記録も残さず遺棄されてきたことを想起すべきです。
1940年には、15世紀に書かれた諺文(ハングル)制作のいわくを記した「訓民正音解例本」が発見されました。
慶尚北道の民家で裏紙として使われていたのを見つけたのです。
いまは国宝になっていますが、これが李朝の時代だったら紙クズ同然に扱われたでしょう。
ハングルが 貴重な文化遺産として重んじられるような時代になっていたからこそ、日の目を見たのです。
朝鮮陶磁の美を見出したのも日本人でした。
旧朝鮮には古陶磁をお宝として珍重する風はあまりなく、伝 統を大事にしようとする意識も乏しかったようで、青磁の技術もはるか昔に滅び、誰もつくれなくなっていました。
それを、目利きだった実業家富田儀作が私財を投じ、十年の歳月をかけて復活させたのです。
今日、韓国のデパートや土産物店で売られている青磁は、伝承の技ではなく、富田が復元した(と一般に認められている)技法によってつくられたものです。
朝鮮の地からいったん姿を消したものを、20世紀の初頭日本人が土中からよみがえらせた、古くて新しい芸術なのです。
小倉進平も特筆に値する人物です。
もともとは東大の助手で、万葉集の表記法などを研究していたのですが、思い立って朝鮮に渡り、朝鮮の古代語、特に「郷歌」の研究を始めました。
郷歌は田舎の歌という意味で、新羅・高麗の時代に詠まれていた歌謡ですが、わずか25首しか伝わっていなかった。
朝鮮の儒者から見れば、取るに足りない夷狄の時代の遺物のようなものでした。
そもそも古代の朝鮮語の文献というのも無きに等しく、読み方もわかりません。
小倉は判任官として総督府に勤めるかたわら、古語の研究を始め、休みの時には口バに乗って地方に出かけ、方言を採取しました。
中央から遠く離れた地方には昔の古い言葉が残っている。
そこに目をつけたわけです。
朝鮮の人も、総督府も、いや日本の言語学界でさえ、あまり興味を持たなかった分野で、彼は周囲の無関心のなか、一人孤独な研究を続けていました。
朝鮮語が科学的な研究の基盤を得たのは、まったく彼の献身的努力のたまものです。
つまり、旧朝鮮の士人が見向きもしなかった「朝鮮的なるもの」の価値を見出し、その伝統を再発見し、復活する試みは、日本が統治するようになってから、日本人によってなされました。
韓民族の国は近代日本との「遭遇」によって誕生した、と言っても過言ではありません。
「40年代前半期の植民地朝鮮の主役が、後半期の独立宣布後も相変わらず新しい国の舞台で主役を演ずるようになった。形式的に見ると独立国となって出発したので、大きな変化かあったはずだが、実は日帝に迎合した者が米軍政に参与し、新国家建設に一役買っていた。人的構成面では実質的な変化は見られず、40年代前半期の歴史線上にそのまま新しい国を建設したと見ざるを得ない」(「日帝支配下の韓国現代史」宋建鎬)
韓国語は福沢諭吉がつくった
漢字ハングル交じりの近代韓国語の成立に、決定的な役割を果たしたのは福沢諭吉でした。
彼はかねがね近隣に開化の仲間をつくりたいと願っていましたが、中国には仮名交じり文のようなものがないので、民衆の教育が難しいと言って半ばあきらめていました。
しかし、ある時、朝鮮には諺文という仮名のような文字があると知って、新知識普及のため朝鮮で新聞を発行することを思い立ち、築地活版所に特注して私費で諺文の活字をつくり、それを持たせて井上角五郎を朝鮮に派遣します。
井上は福沢家の書生で、当時23歳の青年でした。
日本の開化の導師とみなされていた福沢の威光もあって、井上は直ちに政府顧問に任じられ、渡航から3年後の1885年に諺漢混用の国語新聞『漢城周報』の発行にこぎつけます。従来の朝鮮語には国際政治や経済、あるいは近代的な学問などを記述できる語彙がなかったので、日本語をモデルにするしかありませんでした。性質の違う文字を混用する文、構文や語法、文体、句読点やかぎ括弧なども、日本語を転写したものです。
新たな朝鮮語は新聞発行という当座の目的に問に合わせるため、日本語をかたどって一気呵成につくられたのです。
新しい民族の言葉を持とうという意識が、内発的に生まれたわけではありません。
朝鮮を開化の仲間に引き入れようとした日本の啓蒙思想家の理想が結実して、今の韓国語が生まれたのです。
民族形成の基盤は日本がつくった。
いわば韓国そのものが、日本から出発したと言えます。
「近代朝鮮語は日本語を『合わせ鏡』にして形成されてきた。言文一致の構造をはじめ、表現と文章レベル、語彙と表現の形態などの多くは日本語から借りてきたものである。
やや語弊はあるが、現在の韓国人が使用している朝鮮語は、朝鮮王朝時代の朝鮮語とは大きく違う。どちらかと言えばより日本語に近いかもしれない。近代日本語をモデルにして、翻案と翻訳、日本文をモデルにした言文一致などによって新しく作り直されたものである」(「文学の植民地主義-近代朝鮮の風景と記憶」南富鎮)
どう首をひねっても、李朝時代の漢文から近代の語文を導き出すことはできません。
『春香伝』のようなハングル小説があると言っても、伝統というにはあまりに微小なもので、漢字語と漢語成句の音を並べたその文章をいくら読んでも、現代の韓国語に通じるものを見つけることは困難です。
近代朝鮮の代表的作家の一人金東仁の処女作は日本語作品で、彼はもともと日本語で創作していました。
ある日、朝鮮語で書くことを思い立って机に向かったところ、まったく言葉が出てこない。
当時、出来合いの文学用語がなかったのだから当然なのですが、その時頭が真っ白になったとのちに書いています。
仕方がないから、まず日本語で文章を組み立てて、それを朝鮮語に変換して作品にしました。
日本語から直に借りてきた言葉をふんだんにちりばめた文章は、当初はいかにも異様で不自然に感じられるものでしたが、それがいつの間にか定着して、今の韓国語になっています。
巷間、韓国語と日本語が対立していたかのような言われ方をしていますが、これは19世紀の欧州で燃えさかった言語闘争の枠組みをそのまま持ってきたもので、当地にはそんな現実はありませんでした。
近代のとば口の時点で存在した韓国語は、まだ土語と言ってもよいような段階にあり、とても日本語と競争できるようなものではありませんでした。
日本語に出会うことによってはじめて、文化語としての発展の道を歩むことになったのであり、韓国語にとって日本語は育ての親のような存在だったのです。
こういうことが文化総体として起きました。
文明の模様替えのような変化があったので、今の韓国人は旧時代の文化を感覚的に理解することも、その良さを感じ取ることも難しいようです。
昔の知識人は漢文を読んで、それを美しいと思う気持ちを持っていたはずですが、今の人はそれを追体験することができない。
だから、文化的な観点からは、19世紀末を境に別の国が生まれた。
言い換えれば、韓国としての内面の歴史は、この頃から始まると言ってもいいのです。
この稿続く。
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