ツバメも来る家

わが家にここ数年ツバメが巣をかけます。ツバメのことだけでなく身の回りのことを綴っていきたいと思います。

武雄でこんなご夫婦に会いました

2014-12-13 | 人びと
温泉楼門を撮影しているときに話しかけてきた男性がいました。
「きれいですね」その人は1眼レフで撮影しています。

観光案内所で聞いたばかりのことを早速話しました。辰野金吾さん、東京駅、干支(えと)と前回書いたことばかりですので、ここでは省略します。

男性も聞かないことをしゃべりはじめました。昨日は嬉野に泊まった、夜はフレンチだったので、ナイフとフォークを使って食べた。生きのよい魚で酒を飲んだ方がよかったなど。近くに奥さんがいて「わたしはフレンチでよかった」と言いました。

二人は東京の人でレンタカーで九州を回っている、今夜は楼門のすぐ前の旅館に泊まると言いました。

ご主人が来年は「自転車で四国四十八か所を回る」と言います。奥さんは「わたしは膝が悪いのでダメ」と言います。
レンタサイクルでもいいが、2か月かかるので自転車は買った方がいいと注文している、ということです。
わたしは驚き、感心しました。「自転車でですか」

「何年生まれですか」と尋ねました。
男女を問わずなるだけ年齢は聞かないことにしています。
「7年です。昭和7年です」
奥さんも「同じ歳です」と。

「へえ」また驚きです。どう見ても70代前半に見えます。「わたしが年下には見えませんが」とわたしも歳を言いました。

かあchanは3回遍路さんになっています。あのお寺は自転車ではたいへんですよ。とか「いやいや登る××寺」とかしばらく話していました。

2015年何月の予定か聞き忘れましたが、自転車の遍路姿の男性はこの人かもしれません。

今年も3か月と2日

2014-09-29 | 人びと
今日は9月29日です。今日を含めて今年も3が月と2日になりました。

本屋に行くと来年の日記帳や家計簿が並んでいました。

百均では来年のカレンダーが棚の両面に下がったり置かれたりしていました。



そんな季節になったのですね。

あなたにとってはまだ3か月と2日ですか、それともあと3か月と2日しかないですか。

いずれにせよ、時の流れは速いですね。のんびりしてはいられません。

百歳 万歳!

2014-09-15 | 人びと
今日9月15日は敬老の日です。「suwaro-oyadoまた都へ行く」を休んで、敬老の日のことを書きます。

わが市の人口はおよそ12万人です。そのなかで百歳以上は141人(今年度中に百歳になる人を含む)だそうです。
百歳はすごく少ないと思っていましたが、市内のあちこちにいられるのですね。

百歳以上がますます増えていくでしょうね。

百歳以上の長寿者の数におどろいていると元気な百歳を知りまたびっくりしました。

それは9月8日付の朝日歌壇で読みました。
「妻九十八の誕生日」と言ひ百歳は上寿司を買ひ自転車で去る(小平市) 岡田 正子

いいですね。百歳になっても元気で過ごしてほしいです。百歳 万歳!

来場者 前年の5倍ー「花子とアン」効果

2014-08-30 | 人びと


写真は昨日(8月29日)の地元紙の切り抜きです。1日遅れですがぜひ紹介したいです。
今年7月23日にアップしました「白蓮さんは荒尾に来た」の宮崎兄弟資料館の入場者が多くなったという記事です。6月は前年に比べて約5倍になったと書いています。

入場者が多くなることは関係者ではないわたしもうれしいです。

大分県竹田市は白蓮さんの竹田市で詠んだ歌があるから企画展を計画したいと新聞に載っていました。関係があればそれを取り上げて市を大いにPRしようと考えているところは多いでしょう。

荒尾市には白蓮さんが来訪した実績もあり、夫・宮崎龍介さん(ドラマでは宮本龍一)の父滔天兄弟の生家が残っています。もっとそれらを利用させてもらってもよいでしょう。

余談ですが、映画『るろうに剣心 京都大火編』は荒尾と熊本県山鹿市でロケしたそうです。そのことなども大いにPRしてよいと思うのですが。

白蓮さんは荒尾に来た

2014-07-23 | 人びと
朝ドラ『花子とアン』は、蓮子が嘉納伝助への絶縁状が新聞紙上に掲載され、前代未聞の事件になりました。さて、これからどうなるのか、気がもめるところです。

嘉納伝助の筑豊の大邸宅から宮本龍一の荒尾の家に撮影が移らないかと楽しみにしていました。荒尾市には龍一(実際は宮崎龍介)の親と兄弟の「宮崎兄弟の生家」があり、その横には「宮崎兄弟資料館」があります。早速見学に行きました。

結論は残念でした。

築180年の家が残り、庭も撮影によいところですが、家は龍一の伯父さんの家でそれも人手に渡っていたのを平成に入り市が整備して公開したそうです。



荒尾では宮崎四兄弟が有名で、宮崎龍介にはあまりスポットが当たっていないようでした。それでも白蓮のコーナーが少しありました。

ウソでもいいから、蓮子さんに宮崎家で生活してほしいと思いました。なぜなら、嘉納伝助の大邸宅から、小さい家で苦労しながら愛を育み、子どもを産み育てたと庶民の蓮子さんを見たい、思いです。

朝ドラのお蔭で入館者が倍増しているそうです。飯塚の伊藤伝右衛門邸を見て、荒尾に来たというカップルにも出会いました。

白蓮さんは荒尾に3回は確実に来ているそうです。ということで、報告を終わります。

ご機嫌よう、さようなら。

あっ!の、そのわけは

2014-06-26 | 人びと
1+1=2は算数では当然です。世間の常識です。

でも、わたしは1+1=1ではないかと思っているのです。これはわたし達夫婦だけかもしれません。二人で一人に思えてならないのです。間違っても一心同体、と言っているのではありません。)^o^( 二人で一人前という話です。ツレができることをわたしはできない、わたしが好きなことをツレは嫌い、etc.etc.

考えてみると二人で一人前です。

最近まで1+1=1と思っていました。それが、1+1=0.9、0.8、0.7とだんだん1よりも小さくなっていくようです。それを痛切に感じるのは記憶力です。ツレが忘れていることをわたしが覚えているならいいです。わたしが忘れていることをツレが覚えているならいいです。そう都合よくいかなくなりました。二人とも忘れることが多いのです。

中津駅で窓越しに観光案内所の女性に頭を下げ、改札を通り、エスカレーターで2階のホームに上がり、あと5分で博多行きのソニックが来る、やれやれと思った瞬間でした。

あっ!と叫んで血が引いていくのを感じたのは。

立ち上がったわたしを見てかあChanは「どげんしたつね」。
「かばんと土産ば忘れた」足を踏み出しながら言いました。ロッカーに忘れたのです。

下りのエスカレーターを探すこともせずに階段を降りはじめました。最近階段の上り下りは左足を1段上下し、右足をその段に置くという方法でしか、上り下りできません。
でもこのときは左足を1段下ろし、右足をその下の段に下ろすことができました。不格好な足取りですが。痛さを忘れて階段を降りました。

階段を降りると改札口はすぐで、駅員さんに頭を下げて改札を通りました。コーヒーを買ったキオスクは目の前で、その向こうにコインロッカーがあります。

階段の下でわたしはコインロッカーのキーを握りしめていました。
ロッカーから荷物を出して、また改札口へ急ぎました。心配してかあchanも改札まで来ていました。

「さあいそがんなら(急がねば)間に合わんバイ」

階段をどう上がったか記憶に残っていません。

やっとソニック36号に間に合いました。中津駅もコンパクトでよかったです。別府駅だったらアウトだったでしょう。息を弾ませながら車中の人になりました。

湯布院から中津までの1泊2日の、短い旅行でしたが話の方は長くなりました。
お粗末でした。(-_-;)
旅行の教訓としてこのあと二人で物忘れ防止の脳チェックに行くことにしました。わたしは脳のMRI検査を受けることにしています。


中津市でのビックリ Ⅰ

2014-06-13 | 人びと
別府から中津まで特急ソニックで40分くらいの乗車でした。
中津駅構内の観光案内所で中津城までのコース、途中の見どころ、食事場所、そしてコインロッカーの場所などを教えてもらいました。当然かもしれませんが、案内所の女性は丁寧でした。

バッグと別府のお土産を300円のロッカーに入れて、さあ出発です。
「腹が減っては観光は出来ぬ」とまず食事をしました。

今度こそ出発です。「中津はこじんまりした街ですから、お城まで歩いて行けます」そう教えられましたので、寺町を通って福沢諭吉旧居を経由してお城へ行くことにしました。

寺町は静かな、よいところでした。朝と夕暮れは犬の散歩があるのか、注意の看板がありましたが人には出会いませんでした。道の両側に寺が並び、道路はきれいに整備されています。

合元寺(赤壁寺とも呼ばれている)がありました。



黒田官兵衛の入国に反対した宇都宮鎮房を黒田側は城内で誘殺し、合元寺に待機していた鎮房の家来たちを黒田の手勢が切り伏せました。そのとき壁が血で赤く染まりました。その後何度も白く塗っも血が染み出してきます。それで赤く塗ったと説明板に書かれていました。

いまでは赤壁寺と言った方が通りがよいようです。

寺町からはすぐに福沢諭吉旧居でした。以前1度来たことがありますが、観光バスが難題も駐車していた記憶があります。今回はバスも自家用車も駐車していませんでした。駐車場の整理員さんも手持無沙汰のようでした。



「中津と言えば福沢諭吉さんでしょ」旧居でなく閑居かあ、ちょっとびっくりです。



駐車場に電気自動車がありました。1時間千円だそうです。ここの人も手持無沙汰らしく、わたしたちに乗ってみないかと勧めました。これからお城に行くからと断わりました。
駐車場の整理員さんにお城への道を教えてもらい、ぶらぶら歩きました。

お城の見物は次回に。

明日はこどもの日

2014-05-04 | 人びと
明5日はこどもの日です。

子どもはは少なくなっています。その少ない子どもが事故で死んだりいじめで死んだり、心を痛めることが多いです。元気でのびのび生きてほしいとこのブログをアップします。

わが町の商店街に鎧兜が飾られています。明日は写真撮影で賑わうでしょう。



博多駅前にはドラえもんがたくさんいて、ドラミちゃんもいました。写真撮影は順番待ちでした。
福岡アジア美術館で5月18日まで「生誕80周年 藤子・F・不二雄展」が開かれているので、その関連の催しのようでした。




北九州市の小倉城に登城しようと出かけました。お城は耐震工事中で登城は叶わず、外から見るだけで道を渡ったらリバーウォーク北九州でした。
ここで「リバ!アスレチック ワールド」という催しがあっていました。ここでも元気な子どもたちを見ました。



これはウォーターボールというものだそうで、ボールに子どもが入ると入り口を閉じて空気を入れます。子どもは中でボールを動かそうとします。水の上ですからなかなかうまくいかないようでした。



次はクライミング ウォールの低いものです。上手に登っていました。

下の写真はバンジートランポリンというそうです。これは一般のバンジーとは逆にゴムの伸縮性を利用して下から打ち上げるように跳び上がっては降りてきて、また上がります。



もうひとつありました。トランポリン、網の中のトランポリンです。円形のトランポリンで跳びはねますが、落ちないようにでしょうか周囲に網がありました。



元気な子どもたちはいいですね。「おかあさんまだ遊びたい」と言っている子どももいました。ほとんど有料のようでした。


こんな人に会いました

2014-05-02 | 人びと
よく行くスーパーでのことです。「正月写真」が撮られるところです。

わたしは駐車場でバックで止めようとしていました。
わたしの車には衝突防止は付いていません、ましてバックで入れるときに壁が近くなっても警告のブザーも鳴りません。
かあナビはどん座って(どんずわってはどっしり座って動かないという方言です)誘導することもありません。

だから、運転が下手なわたしは滅多にバックで入れることはありません。
この日は、横に車がいないので後ろから入れようとしました。

そのとき、運転席側に男の人が立ち、誘導を始めました。
「そのまま、ハンドルを回して」手と口で誘導します。
「はい、そこでハンドルを戻して」
「そのまま、バック」
「オッケイ」

車は駐車枠に収まりました。
「ありがとうございました」わたしは深々と頭を下げました。
かあナビはそこでひとこと「知った人ね」「いや、知らん人タイ」

奇特な人もおいでですね。ありがたいことです。

奇特な人は昨日(5月1日)もおいででした。パソコンを勉強する公民館の駐車場から出て右折しようとしました。道路の向かい側に立っている人が安全だから右折しなさいと言うように手で合図を送ってくれました。駐車場前の会社の、多分社長さんではないかとわたしは想像していす。
以前この方は公民館の催しのときにも車の誘導をされていたので、ブログに書きました。いつのことかははっきりは覚えていませんが。

字を書く人形に会いたい

2014-01-24 | 人びと
終了しましたが、からくり儀右衛門展のことを書きたいと思います。

からくり儀右衛門こと田中久重は54歳の嘉永4年(1851)に万年時計を完成しています。「和時計と西洋時計の技術を組み合わせ、6面の表示部と、月と太陽の動きを示す天球儀がゼンマイの動きで連動し、旧暦の日付や曜日、二十四節気、月の満ち欠けまでも一度に表示できます」とありますが、凡人にはよくわかりませんでした。「螺鈿(らでん)や金工細工など美術工芸としても高い水準にあります」複製でも、これはよくわかりました。
すばらしい美術品と思いました。オリジナルは国の重要文化財に指定されているそうです。

わたしが会いたいのはVTRで上映されていた「字を書く人形」です。筆で字を書いていきます。このVTRでは「寿」という字を書いていました。その字がまた上手です。金釘流のわたしはあんなに上手には書けません。
からくり儀右衛門は「松」、「竹」、「梅」を書く人形も作ったそうです。

VTRではなく、この人形の本物を見たいものです。この人形もかわいい顔をしていました。