ツバメも来る家

わが家にここ数年ツバメが巣をかけます。ツバメのことだけでなく身の回りのことを綴っていきたいと思います。

あっ!の、そのわけは

2014-06-26 | 人びと
1+1=2は算数では当然です。世間の常識です。

でも、わたしは1+1=1ではないかと思っているのです。これはわたし達夫婦だけかもしれません。二人で一人に思えてならないのです。間違っても一心同体、と言っているのではありません。)^o^( 二人で一人前という話です。ツレができることをわたしはできない、わたしが好きなことをツレは嫌い、etc.etc.

考えてみると二人で一人前です。

最近まで1+1=1と思っていました。それが、1+1=0.9、0.8、0.7とだんだん1よりも小さくなっていくようです。それを痛切に感じるのは記憶力です。ツレが忘れていることをわたしが覚えているならいいです。わたしが忘れていることをツレが覚えているならいいです。そう都合よくいかなくなりました。二人とも忘れることが多いのです。

中津駅で窓越しに観光案内所の女性に頭を下げ、改札を通り、エスカレーターで2階のホームに上がり、あと5分で博多行きのソニックが来る、やれやれと思った瞬間でした。

あっ!と叫んで血が引いていくのを感じたのは。

立ち上がったわたしを見てかあChanは「どげんしたつね」。
「かばんと土産ば忘れた」足を踏み出しながら言いました。ロッカーに忘れたのです。

下りのエスカレーターを探すこともせずに階段を降りはじめました。最近階段の上り下りは左足を1段上下し、右足をその段に置くという方法でしか、上り下りできません。
でもこのときは左足を1段下ろし、右足をその下の段に下ろすことができました。不格好な足取りですが。痛さを忘れて階段を降りました。

階段を降りると改札口はすぐで、駅員さんに頭を下げて改札を通りました。コーヒーを買ったキオスクは目の前で、その向こうにコインロッカーがあります。

階段の下でわたしはコインロッカーのキーを握りしめていました。
ロッカーから荷物を出して、また改札口へ急ぎました。心配してかあchanも改札まで来ていました。

「さあいそがんなら(急がねば)間に合わんバイ」

階段をどう上がったか記憶に残っていません。

やっとソニック36号に間に合いました。中津駅もコンパクトでよかったです。別府駅だったらアウトだったでしょう。息を弾ませながら車中の人になりました。

湯布院から中津までの1泊2日の、短い旅行でしたが話の方は長くなりました。
お粗末でした。(-_-;)
旅行の教訓としてこのあと二人で物忘れ防止の脳チェックに行くことにしました。わたしは脳のMRI検査を受けることにしています。


中津市でのビックリ Ⅱ

2014-06-17 | 
福沢諭吉旧居と中津城は静と動でした。お城に近づくと人、ひと、ヒトです。バスツアーの人やグループ、個人の観光客で賑わっていました。
大河ドラマの効果でしょう。

黒田官兵衛さんが九州に入ったにはここ中津が最初でしょう。ドラマはそこまで進んでいませんのでよくわかりませんが。
中津市としてはこの好機を逃すなと大いにPRしているようです。黒田官兵衛資料館を今年1月19日に城内に開館し、4か月で10万人の来館者があったそうです。
官兵衛さんは隠居して如水になりますがその画像を見ることがあります。その画像を彫刻にして城の堀近くに展示してあります。これもドラマが始まってからとボランティアガイドさんが説明してくれました。

官兵衛さんを大PRですが、ガイドさんの説明では城で残っているのは石垣だけのようです。



石垣のほぼ中心から右と左は石と積み方が違っています。右が黒田の築城時のもの、左は細川忠興の石積みだそうです。段差があり、石の色が違います。

城内へ回って、ここでもビックリしました。



天守閣の手前に池が見えます。三斎池というそうです。三斎は細川忠興の隠居後の名前です。左のほうに噴水が見えます。いまは水道水が吹き上げていますが、山国川(城の横を流れている)の上流の大井出堰(ガイドさんの話では3キロくらいの遠さ)から城内まで水を引いたそうです。

単発のNHKドラマでは全国区にはなりません。ぜひ1年続く大河ドラマに取り上げられるような人が出てほしいです。
そんなことを思いながら城を後にしました。

中津駅に着き、キオスクで缶コーヒーを買い、ホームで一息ついたのは博多行きソニック36号14時32分の5分前でした。

突然 わたしは あっ!と 叫びました。そして血が引いていくようでした。

官兵衛さんに関係のない話は次回に。

中津市でのビックリ Ⅰ

2014-06-13 | 人びと
別府から中津まで特急ソニックで40分くらいの乗車でした。
中津駅構内の観光案内所で中津城までのコース、途中の見どころ、食事場所、そしてコインロッカーの場所などを教えてもらいました。当然かもしれませんが、案内所の女性は丁寧でした。

バッグと別府のお土産を300円のロッカーに入れて、さあ出発です。
「腹が減っては観光は出来ぬ」とまず食事をしました。

今度こそ出発です。「中津はこじんまりした街ですから、お城まで歩いて行けます」そう教えられましたので、寺町を通って福沢諭吉旧居を経由してお城へ行くことにしました。

寺町は静かな、よいところでした。朝と夕暮れは犬の散歩があるのか、注意の看板がありましたが人には出会いませんでした。道の両側に寺が並び、道路はきれいに整備されています。

合元寺(赤壁寺とも呼ばれている)がありました。



黒田官兵衛の入国に反対した宇都宮鎮房を黒田側は城内で誘殺し、合元寺に待機していた鎮房の家来たちを黒田の手勢が切り伏せました。そのとき壁が血で赤く染まりました。その後何度も白く塗っも血が染み出してきます。それで赤く塗ったと説明板に書かれていました。

いまでは赤壁寺と言った方が通りがよいようです。

寺町からはすぐに福沢諭吉旧居でした。以前1度来たことがありますが、観光バスが難題も駐車していた記憶があります。今回はバスも自家用車も駐車していませんでした。駐車場の整理員さんも手持無沙汰のようでした。



「中津と言えば福沢諭吉さんでしょ」旧居でなく閑居かあ、ちょっとびっくりです。



駐車場に電気自動車がありました。1時間千円だそうです。ここの人も手持無沙汰らしく、わたしたちに乗ってみないかと勧めました。これからお城に行くからと断わりました。
駐車場の整理員さんにお城への道を教えてもらい、ぶらぶら歩きました。

お城の見物は次回に。

別府駅でのビックリ

2014-06-06 | 鉄道・駅
中津への移動のために別府駅へ行きました。
かあchanはお土産を買いに駅なかへ、手持無沙汰のわたしは待合室に来ているハトの写真を撮っていました。



ベンチに座っていると横の男性が声をかけてきました。
「どこまで行かれますか」
「中津に行ってお城など黒田官兵衛関連の観光をします」
「わたしたちは鉄輪に2泊して鹿児島に帰ります」(男性の向こうに奥さんが座っていました)
「そうですか。宮崎経由の鹿児島中央行きですか」
「いいえ。鹿児島で2枚切符を買いました。そこで帰りは熊本経由が早く着くからと、切符を作ってもらいました」
「ええ?鹿児島へは宮崎経由でなく、熊本経由ですか」

別府からは宮崎経由が断然早く着くだろう、わたしはそう思いましたが、それ以上は詮索しないで10時20分別府発ソニック22号に乗り遅れないようにフォームへ急ぎました。

帰宅して、tk_ykさんに習ったヤフーのホームページの路線で調べてみました。

1.1番早い出発  別府10:28発 大分10:41着 11:12発 宮崎14:11着 14:15発 鹿児島中央16:22着
2.早く着くのは  別府11:44発 九州横断特急3号 熊本着14:50 14:59新幹線さくら411号 鹿児島中央15:54着

なるほどこちらが早く着きます。お二人はこれで帰ったのでしょう。でも、待合室でこれから1時間以上待つのもたいへんだったでしょうね

JR九州だけを使ってまだ早く帰りつくのがありました。

わたしたちが乗ったソニック22号で博多まで行くと、博多に12:20に着きます。12:36博多発さくら551号に乗れば鹿児島中央に14:01に着きます。 

帰って調べて納得しましたが、別府から宮崎経由が鹿児島中央までは熊本経由や博多経由よりも遅く着くとはちょっと驚きでした。

別府の宿でのビックリ

2014-06-04 | 植物 花・木
泊りは別府にしました。

宿の花壇で珍しい花を見ました。KU-ちゃんならご存知だろうなあと思いながら写真を撮りました。



オオツルボというそうです。原産地は地中海沿岸の南ヨーロッパ、北アフリカなどで、5~6月に花茎の先に径2センチくらいの星型の小花を数十個傘状に付ける、花色は濃い紫が多いが白色のものも多い、とはネットの説明です。

ビックリは宿の売店にありました。ここはおんせん県大分の別府です。ここにくまモンの土産がたくさん並べられていました。大分に来たお客さんが「くまモンはありませんか」と尋ねるのでしょうかね。



お上りさんしたときにアメ横でクレーンゲームの賞品になっているくまモンを見たことがります。くまモンは全国区です。「大分の土産にくまモン」とちょっとビックリ、しましたが、それもありかなあ。)^o^(