ツバメも来る家

わが家にここ数年ツバメが巣をかけます。ツバメのことだけでなく身の回りのことを綴っていきたいと思います。

バク読みして下さる方へ

2017-06-29 | パソコン
ここ数日、バク読みして下さった方へ

ほんとうにありがとうございます。

投稿しなくなって長く経ちますのに
よく読んでくださいます。

ありがたいことです。

ブログは続けています。

最近のことは「goo ブログ ツバメも来る家 Ⅱ」に移っています。
こちらにもどうぞ訪問ください。
お願いします。

転居のお知らせ

2016-02-13 | パソコン
2016年2月12日をもちまして「ツバメも来る家」は「ツバメも来る家 Ⅱ」に転居しました。

写真が多くなり、ツバメも来る家に入らなくなりました。
写真を削っていましたが、わたしの先生のPC MONDAYさんが「猫額に家を新築したらいいよ」と教えてくださいました。

そうしようと思い立ちましたが、新築になれていないので時間がかかりました。

やっと上記の日に新築できました。

「ショック!ついにその日が……」の投稿もしました。

これからはそちらに投稿します。
これまでと同じように「ツバメも来る家 Ⅱ」にもお出で下さいますようお願い申し上げます。


http://blog.goo.ne.jp/nekohitai-aruzi

アドレスは上記のとおりです。

普光寺の白梅咲く

2016-02-01 | 植物 花・木
昨31日の夕方、陽気に誘われて臥龍梅の普光寺へ上ってみました。

臥龍梅は遅咲きですので、まだまだでした。

本殿前の飛梅(大宰府天満宮から贈られたそうです)はわずかですが、花をつけていました。



節分、立春が間近で、「春ですよ」と言っているみたいでした。

今日は一転寒いほどです。ほんとに三寒四温ですね。
飛梅の白梅たちも震えていることでしょう。

知らんかった! 冬来たりなば

2016-01-29 | ことば
「春遠からじ」の投稿で「冬来たりなば春遠からじ」の言葉を引用しました。
寒い冬が来たら、その後には暖かい春が来ます。
単純にそう思ったのでした。

ところがです。

投稿から数日してネットで検索してみました。

イギリスの詩人・シェリーの「西風に寄せる歌」の一節で、
If winter comes,can spring be far behind?

季節のことだけの意味ではなく、「今は不幸な状況であっても、
じっと耐え忍んでいれば、いずれ幸せがめぐってくというたとえ。」とありました。

知りませんでした。季節のことだけを言っているとウン十年思っていました。(-_-;)

念のため、広辞苑 第四版(昔買ったので古いです)を開いてみました。
「冬来たりなば春遠からじ」シェリーとだけ書かれていました。

ことわざ大辞典(小学館 昭和57年発行)買ったままほとんど見ない辞典があります。
これには「つらいきびしいところを耐え抜けば、幸福な繁栄もまじかいというたとえ」とありました。

生半可な、うろ覚えで、文章は書くなという戒めでしょうね。恥ずかしいです。

エンピツはよくて、ボールペンはダメ

2016-01-24 | 行事・イベント
昨日、福岡市美術館の「モネ展」の前期展示に行きました。

モネと言えば睡蓮の画家の印象でしたが、それがこの展覧会で大いに変わりました。

そう思っていたことが、この展覧会をスーッと見ただけでよくわかりました。

その睡蓮も日本的な池の中に浮かぶ睡蓮の絵だけを見ていたのです。
見る目が変わりました。

見る目が変わると言えばモネは晩年白内障を患ったそうです。
それ以後の作品は色調は鮮やかで、大胆なものへと大きく変化していったと説明がありました。

この展覧会ではそれがよくわかりました。
わたしもモネは睡蓮の画家との思い込みを変えさせられました。

さて、この展覧会でなんでだろと思ったことがあります。

ボールペンを出してメモをしました。
そこに監視の女性が来て、「メモはエンピツでしてください」とエンピツを差し出しました。
「メモは終わりました」
「この後メモをされるときにはエンピツでお願いします」とエンピツを貸してくれました。

エンピツではよくて、ボールペンではダメ、テツandトモのなんでだろ、なんでだろの気持ちになりました。

ご存知の方は教えてください。お願いします。

春遠からじ

2016-01-16 | 自然 現象
今朝(16日朝)の寒さはわが市では一番の冷えだったようです。

この寒さに震えあがりました。バケツの水が凍り、畑の霜は雪のようでした。

昨日は気温は低かったようですが、青空が見えました。

下の写真は2枚とも昨日のものです。市北部のお寺で撮りました。



梅が2輪咲いていました。
ジンチョウゲもしっかりつぼみを付けています。咲きだすよとスタンバイしているようです。



冬来たりなば春遠からじ、という言葉もあります。

春がすぐそこに来ていると思い、この寒さを乗りきりましょう。


寒中お見舞い申し上げます

どなたさまも寒さに負けずにがんばりましょう

気が付かなくて、ごめんなさい

2016-01-15 | 人びと
昨日(1月14日)午後、歯医者に行きました。

待合室には人が二人いました。一人は年配の女性、もう一人は30代かなと思われる男性。
この医院では午後の診療は先着順に始まります。そのため来た順に記名することになっています。

わたしは3番目でしたが、記名は女性一人でした。

しばらくして受付事務の人が2階から降りてきました。
「もうしばらくお待ちください」

その時、年配の女性が「ここはドアの開け閉めで風が入ってきて寒い。向こうは(わたしと男性が
掛けているところ)は椅子が高くて座れない」と言いました。

それを聞くとさっと男性は立ち上がり、「気が付かなくて、ごめんなさい。(事務員さんに)低い椅子は
ありませんか」。

事務員さんが(多分自分が座る)椅子をカウンター越しに差し出しました。

男性はそれを受け取り、エアコンの暖かい空気の下に据えて、「ソファの前の特別席です」

わたしはただぼーっと見ていました。

診療の帰りに事務員さんに「あの男性は付添いさんかと思っていた。名前も書いてなかったから。すごい人ですね」
事務員さんも「わたしもそう思いました」

こんな人に会いました。心温まる日でした。

いまどきヒガンバナ?

2016-01-02 | 植物 花・木
明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

年の暮れ初市通りを郵便局の方へ歩いていました。

どう見てもヒガンバナに見える植物があります。

今ごろ、まさか ヒガンバナ???

クエッションマークがいくつもつく思いでした。
次の写真です。



どうです。ヒガンバナに見えるでしょう。

理髪店の前でしたので、そこで尋ねてみました。余談ですが大晦日にも頭を刈ってもらっている人がいました。

ご主人が「ネリネというヒガンバナです」と言われました。

やっぱりヒガンバナでした。
帰ってネットで検索してみました。「ネリネ・フミリスという名前で、花の色は白からピンク・濃桃色まである」
と書かれていました。

びっくりぽん です。

またもシュウカツへ(2015)

2015-12-22 | 
近くに家族葬の斎場が新設され、見学できるということなので見に行きました。

そのときの祭壇は80万円のものでした。



この部屋には椅子で30人くらい座れる広さでした。
お寺さんの控えの間などいくつもの部屋がついていて、すごくゆっくりしていました。

お棺も展示されていました。



正面のお棺が18万円とのことです。(奥の二つのお棺はこれより高いそうです。)
このお棺を見たご婦人方が話していました。

「わたしはこげん高かお棺にはいらんちゃよか。どうせ焼いてしまうとじゃけん」
「わたしもそう思うタイ」

わたしも同感です。どんなに高価なお棺に入っても死んだらわかりません。

もうひとつ新しいことを知りました。これはまたいつか書くことがあるでしょう。

*今回の写真が量的にオーバーして、アップできなくなりました。そのため、以前の写真を消去しました。ブログから
消えた写真がありますが、こんな理由からです。ごめんなさい。(-_-;)













贈る言葉、贈られる言葉

2015-12-13 | ことば
贈る言葉

前回投稿の終活のときにかあちゃんの横にわたしたち世代の女性が座っていました。
聞かないのにこんな話をしはじめました。
病床の主人に「愛してる」と言ったんですよ。
それを聞いた主人は「馬鹿か」と言いました、と笑われました。
わたしたちは黙って聞いていました。

「それで初めて川柳を作りました。愛してる 言ったわたしが 馬鹿でした」
「主人は亡くなりました。今は公民館のサークルで川柳を作っています。楽しいですよ。おいでませんか」

亡くなる前に病床のご主人に愛してると言われたのでしょう。

今もご主人を愛してあるのでしょう。これからも川柳をたくさん作ってくださいと言って別れました。

贈られる言葉

この話を聞いてから十数年前に聞いたことを思い出しました。

多分50歳代の奥さんだったと思います。娘さんが3人と言われました。当時一人は結婚されたということでした。
ご主人は何年も前に亡くなられたそうです。

その病床のことです。言葉もしゃべれない状態になった時のことです。

奥さんをベッドの側に呼んで、目を見ながらゆっくり親指、人差し指、中指、薬指、小指、の順に折っていかれたそうです。
ご主人は子ども3人を残し、両親もいられたと聞いたようです。まだ彼岸には行きたくない、行かれない、思いだったでしょう。

親指から小指までゆっくり折られたのを奥さんは「あ・り・が・と・う」と読まれて、しっかりその手を握り返されたそうです。