この鈴鹿明神社の鎮座地は、古くより座間郷の中心地といわれておりました。市内からは縄文時代の住居跡も見つかっており、のちには藤沢街道・鎌倉街道・天王大縄道という古道が作られ、非常に歴史の古い町であることが分かります。
神社近くに街道跡の碑があります
かつての相模川はたびたび大水を起こす暴れ川であったため、船やいかだの交通はありましたが、多くの人はこの街道沿いに住まいしていたようです。神社周辺には『座間上宿』『座間下宿』『鈴鹿長宿』といった地名が残っており、昔の様子を偲ばせます。
また、現在線路の通っている台地は『座間野』と呼ばれる入会地(村々の共有地)で、近代に至るまで雑草と雑木の繁る原野であったと言われています。
近代に入り技術が進むと、人々の生活の範囲は驚くほど広がりました。川も山も人の努力で整えられ、今は新しい家々が広がっていますが、長い間街道沿いの低地のみに生活の中心があったと考えると時代の流れを感じざるを得ません。境内に歌碑があるのですが、そこにはこう詠われています。
『赤まんま かまくら古道 ここに絶え』
かつて多くの人々が行き来した古道が民家に埋もれ、赤まんま(イヌタデ。雑草の一種)が繁っている姿を詠んだものです。どんな町にも歴史がありますが、忘れられてしまうのは寂しいことです。大切に伝えていきたいものですね。
上記の歌碑