哲学チャンネルより 【ハンナ・アーレント②】西洋哲学史 現代哲学解説【全体主義の起源】【イエルサレムのアイヒマン】を紹介します。
ここから https://www.youtube.com/watch?v=yrlxLHNkN7s
【ハンナ・アーレント①】西洋哲学史 現代哲学解説【人間の条件】【世界疎外】 https://youtu.be/0uJC5MOJ38Y ※書籍 全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】 https://amzn.to/2ZMBWpU
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前回の動画で、ナチスドイツの蛮行の裏には 【全体主義】の蔓延があったと解説しました。 全体主義とは、個人の利益よりも全体の利益を優先して、 その利益のために個人が従属しなければならない主義のことを指します アーレントは、全体主義が生まれる理由を3つ挙げました。 一つ目は【アトム化】です。 アトム化とは、近代化によって、所属するコミュニティーを失った人々が 社会の中で原子のようにバラバラになってしまうことです。 例えば、近代化の影響を受けるまでの日本では、産業の中心は農業であり、 それを成り立たせるために社会の中で共同体が構築され、協働の形式がとられていました。 その後、近代化によって産業の中心は工業となり、共同体の役割を企業が請け負うようになります。 しかし、バブルの崩壊や国際化によってその形も大きく変わってしまい、 現在では自らがどんな共同体に属しているか? これを明確に説明できる人の方が少なくなっているのではないでしょうか。 アトム化した世の中において、不安定な状態が長く続くと、 バラバラになった人間は拠り所を求めるようになります。 当時のドイツでは、第一次大戦の賠償金問題や、世界恐慌の煽りなどで 失業者が大量に生まれ、非常に不安定な情勢が続いていました。 そんな中で現れたナチスは、バラバラになった不安定な人たちにとって ある意味助け舟に見えたと言えるでしょう。 全体主義を生み出す2つ目の理由は【共通の敵の存在】です。 ドイツに限って言えば、反ユダヤ主義のことですね。 当時のドイツでは 『ユダヤ人が世界の経済を牛耳っていて、 そのせいで自分たちが苦しい思いをしている』 という真偽のつかない情報を多くの人が信じていました。 当時のドイツは領邦国家だったため、 国民の明確な統一意識があまりありませんでした。 このように、明確な敵を想定し対立軸を作ることによって、 自分たちはドイツ人だというアイデンティティを強固にさせ 国民国家としての団結力を強めていったと考えられます。 毎年話題になる『いじめ』の問題においても、 異分子を想定することによって、いじめる側のアイデンティティ、 つまり『異分子ではない』という団結力を高めることになる要素は 無視できないものだと感じます。 個人的には『いじめ』こそ全体主義の最小単位だと思っています。 3つ目の理由は【帝国主義】です。 帝国主義とは他国を植民地化して自国の領土を広げることで より強い国家を作ろうとする考え方のことです。 侵略戦争には大義が必要です。 ドイツの場合はこの大義を 『ドイツ人こそが人種的に優れていて、他国民は劣っている』 という優生思想に求めました。 この考え方が、反ユダヤ主義に拍車をかけ 人種的に劣っていると(信じていた)ユダヤ人を排除する運動につながりました。 当然、相対的にドイツ人は団結を深めることになり、 それが全体主義を推し進めたのは言うまでもありません。 アーレントは、このように アトム化した人々が、不安定な情勢下においてナチスの強い意見を拠り所とし ユダヤ人を共通の敵と認識することで国民国家の団結性を生み出し、 帝国主義の大義であった優生思想がさらにそれを強固なものにしたことで ホロコーストのような残虐な事件に繋がったと考えたのです。 特筆すべきは、彼女が全体主義とその結果として行われた蛮行について 人間個人の悪ではなくて、仕組みやイデオロギーに注目したことです。 その思想は主著【イエルサレムのアイヒマン】にも現れています。 本書は、ホロコーストの指揮的立場であったアイヒマンの裁判記録を アーレント本人が全て傍聴し、それを報告したものです。 アイヒマンは終戦後、1960年まで逃亡生活を送っていましたが その後捕らえられ、1961年から裁判が始まり翌年に絞首刑に処されています。 アーレントは本書の中で アイヒマンは世界疎外に陥っていて、全体主義の一員になっていたとし、 本人は至って無思想無主義で、出世のことしか考えていなかった。と言います。 当時合法だった殺人を、仕事の一つとして当たり前にこなしていただけだ。 極端に言えば、アイヒマン自体には悪は存在せず、 彼も言わば全体主義の被害者だったと考えたのです。 また、同じことが傍観していたドイツ国民にも 命欲しさに仲間を売っていたユダヤ人にも言えるとしました。 つまり、ドイツ国民全体とそれに加担していたユダヤ人までもが アイヒマンと同等の加害者であり、被害者でもあると考えたのです。 当然このような主張に対し、非常に激しい批判が加えられました。 しかし、アーレントはこの主張を曲げなかったと言います。 もちろん、当時起こったことは決して許されることではないし、 全体主義を理由にしてアイヒマンが許されるものでもないと思います。 しかし、アーレントの主張は、 『なんでもない人間が、誰でもアイヒマンになり得る』 と捉えることができます。 一人の巨悪が起こした出来事ではなく、 仕組みや環境が起こした悲惨な出来事だとそれを捉え直すことで より再発が起こらないようにするための強い動機になり得るのではないか。 そう感じます。 ちなみにアーレントは国際法上の【平和に対する罪】の定義が曖昧だと指摘し 日本への原爆投下なども正当に裁かれるべきだと主張しています。
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