海部元首相が亡くなりました。
湾岸戦争でお金を出しても感謝されなかったことが、戦後政治の一つのターニングポイントだったと思います。
・ 財政目標堅持 口先だけで済ませるな
・ カザフスタン 権威主義が招いた混迷
・ カザフスタン 権威主義が招いた混迷
・ 濃厚接触者待機 期間短縮は検査体制の強化も
・ 米高速炉計画 国際協力で日本の技術生かせ
・ 米高速炉計画 国際協力で日本の技術生かせ
・ 再生’22 人口減少と地方 「適疎」を新たな選択肢に
・ 危機を想定した国と地方の役割分担に
・ インドは構造改革を止めるな
・ インドは構造改革を止めるな
・ コロナ禍の入試 不安払拭に各校の工夫を
・ 10増10減に異論 ちゃぶ台返しは許されぬ
・ 10増10減に異論 ちゃぶ台返しは許されぬ
・ 野球殿堂入り 「山本昌」という生き方
・ 海部氏を悼む 安保転換させた護憲派
・ 海部氏を悼む 安保転換させた護憲派
※ 海部氏は中日のみでした。
日本の安全保障転換点の当事者にもなった。一九九〇年イラク軍がクウェートに侵攻し、湾岸戦争に発展すると、海部政権は多国籍軍に総額百三十億ドルの資金を提供した。停戦後には海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣することを決断。自著の中で「私は護憲派」という海部氏の時代に、自衛隊創設以来初の海外任務に道が開かれたことは歴史の皮肉に映る。
中国は民主化運動を武力弾圧した八九年の天安門事件後、経済制裁を受けた。海部氏は「中国を孤立させるべきでない」と訴え、日本はいち早く制裁を解除した。民主化への思いは強かったが、中国を追い込むべきではないとの立場をとり、西側諸国の先陣を切って訪中。その後も中国首脳と親交を深めた=写真、九八年、北京で。
海部氏は生前、本紙の取材に「政府が市民に銃を向けることなどあってはならない。だが、中国では西側諸国が常識としている人権意識がまだ育っていないことも分かっていた」と語っている。
長い目で重要な隣国の健全な発展を望む穏健な中国観を持つ政治家であった。ただ、現在の中国指導部がその思いとは逆の方向に歩を進めているのが残念である。
見事に、海部氏の業績をまとめています。