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岡谷惣助/ものづくり中部の革新者たちⅢ

2022-09-24 06:40:44 | ものづくり・まちづくり

ものづくり中部の革新者たちⅢ より 岡谷惣助を紹介します。

去る2022(令和4)年9月10日(土)に名古屋都市センター(金山南ビル内) 11階「まちづくり広場・企画展示コーナー」で行われた、第17回パネル展 での学びを振り返ります。

ここから http://csih.sakura.ne.jp/panerutenn.html

今回は、岡谷惣助 能く祖先の遺訓に遵ふて、業を励み家を斉ふ -七宝会社、機械紡績、国立銀行など新規事業創設に尽力- 

 
岡谷惣助 (1851-1927)
 
岡谷惣助 (第9代、 1851~1927) は代々鉄刃物を商う豪商笹屋家に、 1851(嘉永4)年に生まれ、 17歳の時、 惣助を襲名した。 維新後、所蔵していた古銅等を基に事業を拡大し、 念願の東京支店を開設するとともに、この資産を基に、維新後の混乱を乗り切り、 財界人として各種新規事業に取り組んだ。 伊藤次郎左衛門家とは姻戚関係にあった。
 
■七宝会社、 紡績会社の設立
 
県令井関盛良や村松彦七 (別項) の勧めで七宝会社を1871 (明治4) 年7月に設立、地元産七宝焼製品の製造販売を行ない、海外の万国博にも出展し、高い評価を受けた。しかし、 1883(明治16)年のアムステルダム万博で想定外の失費を出し、会社は閉鎖に追い込まれたが、七宝製品の美術品として高い評価と海外への販路を拓いた先駆的事業であった。
また、 村松の勧めで、 名古屋財界一体となって機械紡績を行なう名古屋紡績を1881 (明治14)年3月に設立、 岡谷は取締役を務めた。
 
水車動力から蒸気動力への変更など着工に手間取ったが、 1885 (明治18) 年1月、 堀川端の正木町に紡績工場を建設し、土族の婦女子を雇用する時代の要請に応えた事業として業績を伸ばした。 名古屋紡績は、後に三重紡績に合併されている。
 
■百三十四国立銀行、 愛知銀行頭取
 
名古屋市長吉田禄在に請われて、 銀行創設にも尽力した。 1877 (明治10)年7月に第十一国立銀行、 翌11年3月に第百三十四国立銀行が設立された。 両銀行は国立銀行条例の期限が切れると、 1896(明治29)年に愛知銀行に統合され、 岡谷は頭取に就任した。 明治銀行、 名古屋銀行と並ぶ名古屋の中心的金融機関であった。
 
このほか、 名古屋瓦斯、 名古屋製陶 朝鮮起業などの諸会社に関わったほか、 県会議員 (明治29年)、 名古屋商業会議所副会頭 (明治34年~42年) 等を務め、 1906(明治39)年には貴族院議員にも選ばれている。 1926(大正15年)、 家督を第10代惣助 (3男清治郎)に譲り、 1927(昭和2)年2月、78歳で死去した。
 
(浅野伸一)
尾張国名古屋出身。家業の金物業を引き継いで再建にあたるとともに、為替なども扱い、1878年第百三十四国立銀行初代頭取。1896年には愛知銀行を設立して初代頭取に就任した。
 

ものづくり中部の革新者たちⅢ 第17回パネル展に行ってきました

2019年度 第15回パネル展 ものづくり中部の革新者たち 

ものづくり中部の革新を支える 新たなみち

2018年度 第14回パネル展 モダン都市名古屋の形成

2017年度 第13回パネル展 中部における国産車のあゆみ 

2016年度 第12回パネル展 東海の綿織物・毛織物と産業遺産

2015年度 第11回パネル展 東海の絹・文化と産業遺産  

2014年度 パネル展と講演会 近代名古屋の発展と海外の関わり ~戦前の国際都市名古屋の形成~ PART2

2013年度 パネル展 

石河正竜/ものづくり中部の革新者たちⅢ 

鈴木久一郎/ものづくり中部の革新者たちⅢ

村松彦七/ものづくり中部の革新者たちⅢ

片倉兼太郎(初代)/ものづくり中部の革新者たちⅢ

岡谷惣助/ものづくり中部の革新者たちⅢ

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