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愛知の街道を行く シリーズ1「鳴海宿」-6-

2024-03-01 07:20:46 | 取材・旅行

2024年2月24日(土)、栄中日文化センター主催、「愛知の街道を行く シリーズ1」(2024年1~5月)「鳴海宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介しています。

街道シリーズは宮宿に続いての2回目です。宮宿については 「宮宿」-1- をご覧ください。

今回のルートです。前回のゴール「桜」駅から右下の有松駅までオレンジ色の線を歩きました。

この画像の出典は前回同様 Network2010https://network2010.org/article/451 

今回は、一里塚 ~ 東海道分間延絵図 です。

今回のコースです。

この高低図です。地理院地図からお借りしました。

まずは一里塚です。

文字起こししてみましょう。


笠寺一里塚
一里塚は、慶長9年(1604) 幕府が主要街道を整備し 江戸(東京) 日本橋を起点に、道程一里 (約4km) ごとに道の両側に塚を築き、榎(えのき)などを植えたもので、旅人に距離を示しただけでなく、荷物その他の運賃計算の基準にもなった。
ここは江戸から88里のところにあり、名古屋市内を通る旧東海道に残る唯一の一里塚で、東側の塚だけが現存している。


このサイトでは,東海道の全ての一里塚がわかります。拡大もできます。

https://www.u-sol.co.jp/hodogaya/kaidokml/tok1rizuka.html

次のサイトでは、全一里塚の現在の様子が写真で紹介されています。

http://itirituka.rakuchu-rakugai.com/


東海道分間延絵図 です。

引用して紹介します。出典 https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index6/answer2.htm


東海道分間延絵図」は、江戸幕府が東海道の状況を把握するために、道中奉行に命じて作成した詳細な絵地図です。

幕府は東海道の他にも、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中の五街道と、それらに付属する街道地図も同時期に作成しています。それらを含めて「五街道分間延絵図」(正式には「五海道其外分間見取延絵図」)と呼んでおり、「東海道分間延絵図」はその一部で、東海道だけで全13巻に及びます。

「五街道分間延絵図」作成の命が出されたのは寛政年中(1789~1801)のことで、文化3年(1806)に完成しています。現在、東京国立博物館と逓信博物館に所蔵されています。
絵図には、沿道の主な建造物では、問屋、本陣、脇本陣、寺社などが丹念に描かれています。また一里塚、道標、橋、高札なども描かれています。
縮尺は、実際の1里を曲尺の7尺2寸に縮尺して描かれており、道の曲がりの急なところは、そのまま描いてしまうと地図の天地が長くなってしまうので、実際にはゆるい曲がりにし、そのわきにたとえば北に何分と記して、本来の曲がり具合を示しています。


動画もありました。


今日はこの後、もう1本上げます。「鳴海宿」-7-


「鳴海宿」ラインナップ

「鳴海宿」-1- 「鳴海宿」-2- 「鳴海宿」-3- 「鳴海宿」-4- 「鳴海宿」-5- 「鳴海宿」-6- 「鳴海宿」-7- 「鳴海宿」-8- 「鳴海宿」-9- 「鳴海宿」-10-


このブログでの他のシリーズは・・・
ベトナム・ホーチミン みてある記 -1-  タイ・バンコク 見てある記-1-  シェムリアップみてある記 -1-  香港に来ています  台湾レポート-1-  平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾-   さわやか中欧 見てある記 -1-   美濃 見てある記 -1-  みちのく三陸海岸 見てある記-1- 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW  長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1-  犬山城周辺 -1-  近江FWⅡ 安祥城周辺-1- 「有松宿」-1- 堀川七橋めぐり-1- 松平郷周辺FW -1- 桑名城 -1- 「池鯉鮒宿」-1-

社楽の会」HP:中国ODAみてある記 韓国研修その2 ブリスベン


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