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愛知の街道を行く シリーズ1「鳴海宿」-7-

2024-03-01 07:40:46 | 取材・旅行

2024年2月24日(土)、栄中日文化センター主催、「愛知の街道を行く シリーズ1」(2024年1~5月)「鳴海宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介しています。今日はもう一つやっちゃいます。

街道シリーズは宮宿に続いての2回目です。宮宿については 「宮宿」-1- をご覧ください。

今回のルートです。前回のゴール「桜」駅から右下の有松駅までオレンジ色の線を歩きました。

この画像の出典は前回同様 Network2010https://network2010.org/article/451 

今回は、千鳥塚 ~ 鳴海城を取り巻く三砦 です。

前回の続きから東海道を歩きます。

前回紹介した地理院地図です。

弥次喜多道中の絵がいろいろなところで見られます。

天白川(天白橋)を渡ります。

千句塚公園です。30mの高低差があります。

千句塚公園を登ります。

千鳥塚の看板です。

千鳥塚です。

説明板を文字起こししてみましょう。


千鳥塚

この碑は、貞享四年(一六八七) 冬十一月、寺島安信宅での歌仙「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」の巻が、満尾した記念に建てたもので文字は芭蕉の筆、裏面には連衆の側面に興行の年月が刻んである。

これは、芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚であり、俳文学史上稀有の遺跡といってよい。
昭和五十二年(一九七七) 名古屋市史跡に指定された。


千鳥塚の由来については、「鳴海宿」-9- の千代倉歴史館 をご覧ください。

千句塚公園からの景色です。昔は海だったと思われます。

動画を紹介します。

 

鉾ノ木貝塚に向かいます。

説明板です。

文字起こししてみます。


鉾(ほこ)ノ木貝塚

縄文時代早期から前期にかけての貝塚で、貝層はハイガイを主としている。下部貝層や基底面からは、縄文のあるやや厚い土器や薄手の細線文土器、上部貝層からは、前期中ごろの羽状縄文、瓜形文を施した平底の深鉢型土器を主体として出土しており、上層土器の型式をとらえ「鉾ノ木式」と呼称されている。野村三郎氏により発見された。


すぐそこまで海岸線が迫っていたことがわかります。

マンションの看板に、丹下砦と書かれています。

そう、この辺りには、鳴海城を囲む3つの砦があったのです。

次の資料をご覧ください。左上の青い線が、桶狭間の合戦当日の織田軍の動きです。

この資料は、 名古屋観光コンベンションビューロー 国内観光グループ製作の「いざ歩かん!信長攻略」からお借りしました。

詳しくはこのサイトをご覧ください。

https://nobunaga-kouro.nagoya/about.html

左上の3つの砦が次です。

詳しくは動画をご覧ください。

歴史の舞台です!


明日に続きます。「鳴海宿」-8- へ


「鳴海宿」ラインナップ

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