クオリティ埼玉より「三公七民で収穫量が四倍に」外交評論家 加瀬英明を紹介します。
全体はここ http://www.qualitysaitama.com/jiron/20277
次が興味深いところです。
江戸時代の時間は、日照時間にしたがった。夜明けを“明六つ”として、日没の直後を“暮六つ”と定めた、日照時間を尺度とした不定時法が行われていた。
“明六つ”と“暮六つ”がそれぞれ6等分されて、“一刻”とされた。季節の変化と昼夜の長さに合わせて、“一刻”の長さが変わった。間食をさす「おやつ」は、昼食と夜食の間の午後3時前後の8つの刻からきている。
夏には日中は遅く、夜に入って時を速く刻み、冬は逆になるという「和時計」が造られた。このような複雑かつ巧緻な時計は、世界で他になかった。日本の職人の技は、抜きんでて優れていたのである。そうした技量の持ち主は「匠」として尊敬されていた。
日本が技術立国として現在の成功をかちえた源は、江戸時代にまで遡ることができると、私は考えている。中国や朝鮮では、職人を卑しい者として軽蔑したから、名もない職人までが発奮し、腕をみがくという風潮は生まれなかった。
( 中 略 )
明治に入って太陽歴と定時法が採用されるまで、この不定時法が行われていた。仕事のできる明るさがあるうちは働くという、自然にそった働き方の中で、状況が許す限り骨身を惜しまず身体を動かすという勤勉さも、身についたのかもしれない。
昼の“一刻”と夜の“一刻”の長さが違うのです。
しかも、時計が、季節に合わせてそのように動きを変えるのです。
日本の技術はすごい!
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江戸時代の時間は、日照時間にしたがった。夜明けを“明六つ”として、日没の直後を“暮六つ”と定めた、日照時間を尺度とした不定時法が行われていた。
“明六つ”と“暮六つ”がそれぞれ6等分されて、“一刻”とされた。季節の変化と昼夜の長さに合わせて、“一刻”の長さが変わった。間食をさす「おやつ」は、昼食と夜食の間の午後3時前後の8つの刻からきている。
夏には日中は遅く、夜に入って時を速く刻み、冬は逆になるという「和時計」が造られた。このような複雑かつ巧緻な時計は、世界で他になかった。日本の職人の技は、抜きんでて優れていたのである。そうした技量の持ち主は「匠」として尊敬されていた。
日本が技術立国として現在の成功をかちえた源は、江戸時代にまで遡ることができると、私は考えている。中国や朝鮮では、職人を卑しい者として軽蔑したから、名もない職人までが発奮し、腕をみがくという風潮は生まれなかった。
( 中 略 )
明治に入って太陽歴と定時法が採用されるまで、この不定時法が行われていた。仕事のできる明るさがあるうちは働くという、自然にそった働き方の中で、状況が許す限り骨身を惜しまず身体を動かすという勤勉さも、身についたのかもしれない。
昼の“一刻”と夜の“一刻”の長さが違うのです。
しかも、時計が、季節に合わせてそのように動きを変えるのです。
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