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大野城・大草城-7-

2024-02-17 07:20:24 | 取材・旅行

2024年2月10日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2024年1~3月)「水軍の城・大野城と知多の名城・大草城へ行ってきました。

講師は七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。

今回の訪問地です。

今回は④ 大草城 -1- 今回のメインです。

まずは縄張図です。本丸(南側)、二の丸(北側)を土塁と堀が囲んでいます。

画像出典 https://www.hm.aitai.ne.jp/~katochan/owari_no_shiro/chita/chita_ookusa_nawabari.htm

大草城縄張図
愛知県中世城館跡調査報告書Ⅳ(知多地区)より
原図:高田 徹 氏

古図を見てみましょう。茶白の部分は空堀で、灰色が水堀です。

https://ameblo.jp/ohnodani/image-12259785810-13898650322.html

案内板です。

文字起こししてみましょう。


大草城址の由来
大草城は、織田信長の弟で、後に茶人としても名を挙げた源五長益(有楽斎)が、築城しようとして途中で断念した”幻の城である。
矢田川とその支流の流域からなる大野谷、(現知多市の南部常滑市の北部地域)を拝領していた長益は、大草の地に城を築き始めた。しかし、天正十年(一五八二)に本能寺の変で信長が暗殺され、長益も天正十二年(一五八四)の長久手の合戦後、しばらくして秀吉に仕え、摂津国味舌(現大阪府三島郡三島町)に転封された。このため、地形(ちぎょう)などの普請が大体終わったところで放棄され、廃城となり、幻の城と呼ばれるようになった。
ともあれ、西は伊勢湾が迫り、南は矢田川、東は神田川が流れ、それぞれ外堀の役目を果たし、なかなかの要害の構えであった。
現在、大草城址は、本丸、二の丸と周囲の土塁、堀の大部分が、ほぼ完全な形で残っており、このような城址は、愛知県下でも数が少ない。このように保存状態がよいのは、尾張藩の徳川義直、光友に仕えた重臣、山澄淡路守英龍が大草を給知され、寛文六年(一六六六)に城址の西南方に屋敷を構えるなど、歴代の支配者が保存に力を注いだためである。
市では、こうした歴史的価値をとどめる城址をさらに保存、広く市民にも憩いの場として開放するため、大草公園として整備。本丸跡に天守閣を模した展望台を設置したり、二の丸跡に散策道を設けている。施設の保全と管理が行われている。


ここにあるように、大草城は織田長益(後の有楽斎)によって築かれた未完の城です。

小牧長久手の合戦の後、長益は知多に所領を得て、最初は1.5kmほど南にある大野城(宮山城)に入城しました。例の佐治氏の城です。しかし、水利が悪かったために大野城を捨てて、新たに城を築き始めたのがこの大草城です。
しかし完成前に、長益は秀吉にお伽衆に乞われ、摂津国味吉に転封されたのです。ここまで造ったのに・・・・・

普通なら荒れ果ててしまうところですが、尾張藩家臣でこの地を領した山澄淡路守が城の保存に努めたのです。

山澄淡路守英龍

父は伊勢国司北畠顕能の支流川方宗成で、勢州兵乱の時、一族が分散し尾張に来ました。母は馬場政次の女で、英龍は宗成の第二子として山城に生まれました。英龍が七歳の時、母は池田光政(因幡鳥取藩主)の簾中に入り、江戸に住むことになりました。十七歳の時、建部政勝の母慶正院に見出だされ、徳川義直に謁見する機会を得て即日小姓となりました。寛永十七年には、義直の長男である光友に仕え、五百石の領地を得ます。慶安三年十二月姓を山澄と改姓し、寛文元年三月家老として五千石の領地を有しました。同六年正月従五位下となり淡路守に任ぜられています。

出典 http://soutairoku.com/01_soutai/08-1_ya/07-1_ma/owari_yamazumi/yamazumi_hidetatu.html

千種区にある山澄淡路守の墓です。

この英龍のおかげで、城は当初の形態を維持したまま、残されることとなりました。

明治維新後、尾張藩の支配は終了しましたが、現在も城址公園として、築城当時の形態がよく残されてます。感謝ですね・・・・。

動画をご覧ください。

ちなみに、愛知県内に大草城はほかにもあります。

長久手大草城

大草城(尾張国春日井郡)

明日に続きます。


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