昨日は、江南市民文化会館で、菊池省三先生教育セミナーが開催されました。
100名を越える人が集まりました。
私の隣の若い女性は、わざわざ大阪からの参加です。
(おいしい食べ物を食べて帰ると行ってみえました。次に来るときには、ぜひ明治村へ!)
以下は、私の感想です。
まずもって、こうした会が開催されたことにたいして、主催されたみなさまに敬意を表します。
かつて、教員組合の対立があった時代、教員が集まる会を開きにくい雰囲気がありました。
私が「社会科教師の勉強会(社楽の会)」を発足させるために、多くの手順を踏んだことを思い出します。
昭和の時代の布袋小の法則化サークル「カンタービレ」。他に犬山にも法則化サークルがありました。
これらも、マイナーなものでした。
時がたち、今回のように若い人が自主的な研修の場を作ることができたことに、お祝いと共に、さらに応援をしていかなければならないと感じました。
我々の地区でも、学校ごとに、自主的な勉強会が開かれていると聞いています。
教科ごとの会も育ってほしいと思っています。
それはさておき、内容の感想です。
菊池省三先生には、同じDNAをもつ人の安心感を感じました。
若い頃に法則化サークルに刺激を受け、そこで有田先生や野口先生に学び、実践を積んできたのは私も同じです。
今日の内容でも、いろいろな人の理論&実践が、随所に現れていました。
その背景がわかるので、より面白さと親近感を感じました。
法則化で共に学んだメンバーも、それぞれ立場が変わり、学級での実践ができなくなりました。
当時、共に取り組んだ全国の仲間の中では、菊池先生が最後の実践者??になるかもしれないなと感じました。
もちろん、若い実践者はどんどん生まれていますが・・・。
今日は、軽妙な語り口で話されました。
おそらく、子供たちに対するスタンスと同じようにやられているのでしょう。
ユーモアや間の取り方は、有田先生とはまた違ったおもしろさでした。
子供と向き合う姿は、かつての自分を思い出しました。
ディベートしかり、係活動しかり・・・。
菊池先生の方が、もっと柔軟で、時間をかけています。
「ジョハリの窓」の発想は、私にはありませんでした。
理論を理解していると、対処がわかるのです。
対処を理解していると、教師は待てるのです。
そこが、当時の私と菊池先生の違いです。
私は、今から思うと、強引に型にはめようとしていた気がします。
ただ、菊池先生もいわれましたが、初めは型にはめることです。
教育とは、そもそも型にはめることです。
昨今、「学び合い」を称して、教師が教えることに臆病になりすぎています。
それは、「学び合い」が成立している学級を見て、形だけを真似しようと思うからです。
そのクラスには、初めには、教師がとことん入り込んでいるのです。
私も、一年の後半には教師の出番が減りました。
自分たちで授業を進めていくからです。
それは、ほかっておいてはできません。それではただの放任です。
岐阜県でよく見る、成長曲線の見える化。
これも、かつての私の発想にはありませんでした。
(歴史の授業ではよく使いましたが・・・・)
これも、情報なのです。
全国の優れた実践が、いろいろな形で伝搬され、広まったからです。
読売新聞で特集された「秋田の教育」は、岐阜市の研修校で行われていたことでした。
そうだと思います。
価値あるものは伝わり、残るのです。
菊池先生の手法は、その多くは全国の多くの学級で使える発想です。
これを、学年、学校ぐるみで行えば、自分を好きになり、学級を好きになり、学校を好きになる子供が増えると思います。
今日のセミナーに参加したみなさんは幸せです。
第2回が開催されることを期待します。もちろん応援します。
100名を越える人が集まりました。
私の隣の若い女性は、わざわざ大阪からの参加です。
(おいしい食べ物を食べて帰ると行ってみえました。次に来るときには、ぜひ明治村へ!)
以下は、私の感想です。
まずもって、こうした会が開催されたことにたいして、主催されたみなさまに敬意を表します。
かつて、教員組合の対立があった時代、教員が集まる会を開きにくい雰囲気がありました。
私が「社会科教師の勉強会(社楽の会)」を発足させるために、多くの手順を踏んだことを思い出します。
昭和の時代の布袋小の法則化サークル「カンタービレ」。他に犬山にも法則化サークルがありました。
これらも、マイナーなものでした。
時がたち、今回のように若い人が自主的な研修の場を作ることができたことに、お祝いと共に、さらに応援をしていかなければならないと感じました。
我々の地区でも、学校ごとに、自主的な勉強会が開かれていると聞いています。
教科ごとの会も育ってほしいと思っています。
それはさておき、内容の感想です。
菊池省三先生には、同じDNAをもつ人の安心感を感じました。
若い頃に法則化サークルに刺激を受け、そこで有田先生や野口先生に学び、実践を積んできたのは私も同じです。
今日の内容でも、いろいろな人の理論&実践が、随所に現れていました。
その背景がわかるので、より面白さと親近感を感じました。
法則化で共に学んだメンバーも、それぞれ立場が変わり、学級での実践ができなくなりました。
当時、共に取り組んだ全国の仲間の中では、菊池先生が最後の実践者??になるかもしれないなと感じました。
もちろん、若い実践者はどんどん生まれていますが・・・。
今日は、軽妙な語り口で話されました。
おそらく、子供たちに対するスタンスと同じようにやられているのでしょう。
ユーモアや間の取り方は、有田先生とはまた違ったおもしろさでした。
子供と向き合う姿は、かつての自分を思い出しました。
ディベートしかり、係活動しかり・・・。
菊池先生の方が、もっと柔軟で、時間をかけています。
「ジョハリの窓」の発想は、私にはありませんでした。
理論を理解していると、対処がわかるのです。
対処を理解していると、教師は待てるのです。
そこが、当時の私と菊池先生の違いです。
私は、今から思うと、強引に型にはめようとしていた気がします。
ただ、菊池先生もいわれましたが、初めは型にはめることです。
教育とは、そもそも型にはめることです。
昨今、「学び合い」を称して、教師が教えることに臆病になりすぎています。
それは、「学び合い」が成立している学級を見て、形だけを真似しようと思うからです。
そのクラスには、初めには、教師がとことん入り込んでいるのです。
私も、一年の後半には教師の出番が減りました。
自分たちで授業を進めていくからです。
それは、ほかっておいてはできません。それではただの放任です。
岐阜県でよく見る、成長曲線の見える化。
これも、かつての私の発想にはありませんでした。
(歴史の授業ではよく使いましたが・・・・)
これも、情報なのです。
全国の優れた実践が、いろいろな形で伝搬され、広まったからです。
読売新聞で特集された「秋田の教育」は、岐阜市の研修校で行われていたことでした。
そうだと思います。
価値あるものは伝わり、残るのです。
菊池先生の手法は、その多くは全国の多くの学級で使える発想です。
これを、学年、学校ぐるみで行えば、自分を好きになり、学級を好きになり、学校を好きになる子供が増えると思います。
今日のセミナーに参加したみなさんは幸せです。
第2回が開催されることを期待します。もちろん応援します。